余裕を持つ

 

余裕を持つ

 

いっぱいいっぱいよりも余裕がある状態の方が望ましい。

 

のは言うまでもない。

 

ここでは単に状態としての余裕のあるなしではなく、意志として余裕がある状態を保つ、という意味で「余裕を持つ」としたい。

 

つまり心の状態として余裕があったり、なくなったりするのではなく、常に余裕がある状態を保つということ。

 

いつどんなときにも余裕がある状態にするには逆にいっぱいいっぱいな状態を考え、それを克服する方法を見つければいい。

 

・することがたくさんあるのに時間が足りない

・誰かに嫌なことを言われたり、されたりするとき

・自分の能力以上のことを求められたとき等等

 

要は自分のキャパ以上を求められたら余裕がなくなる。

 

その対応法は一言で言えば、穴を開ければいい。

 

こうしなければならないとか、成功しないといけないとか、完璧なものを提出しないといけないとか・・・

 

「しなければならない呪縛」が余裕をなくさせるのだ。

 

であるならば、開き直ってどこかに穴を開ければいい。

 

全部壊すのではなく、一部だけ隙を作ればいい。

 

例えば、期限は守るけれどクオリティは少し落とす、とか全員をハッピーにはできないけどこの人には納得してもらえるようにする、とか全部はできないけど一部は完璧に仕上げる、とか・・・

 

世の中なるようにしかならないし、なるようには、なるもの。良くも悪くも自分は自分であり、他人にはなれないし、自分にないものを求めたらキリがない。

 

それよりも余裕を持って一瞬一瞬を楽しんだ方がいい。

 

要は心の持っていき方の訓練を積めばいいということ。

 

心に余裕を持つために。

 

まずは自分で決める。

 

余裕を持つ と。

 

ハッとする商品 ー髭剃りジェルー

 

現代社会はモノやサービスで溢れている。

 

「ハッとする商品」と題して際立つ商品やサービスを紹介している。

 

今日のオススメはこれ。

 

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https://www.kao.co.jp/success/products/shaving/gel/

 

長年何の迷いも疑問も持つことなく使い続けていたシェービングクリームからジェルに切り替えることになったのはふとしたきっかけから。

 

帰省先で買ったジェルを使ってみて「あれ? いつもより剃れてる?」とハッとしたこと。

 

シェービングクリームのときにはある意味儀式のようにつけていたものがジェルに変えると確かに髭がよく剃れるではないか!

 

宣伝文句の通り髭が柔らかくなる感覚があって深くよく剃れる。しかも、髭剃り後がしっとりして肌にも優しい。

 

シェービングクリームよりは費用面では敵わないものの髭剃り自体が楽しくなったのは大きい。

 

当たり前に長年続けていることにもスポットライトを当てて見直すことの大切さを学べた。

 

施策と目途と侃侃諤諤と

 

施策は「しさく」、目途は「めど」、早急は「さっきゅう」

 

登用は「とうよう」だし、 別件は「べっけん」で首長は「しゅちょう」

 

のはず。

 

なのに、

 

「せさく」「もくと」「そうきゅう」

 

「とよう」「べつけん」「くびちょう」

 

と読む人がいる。

 

単なる間違いというのもあるのだろうが、敢えてそう発音する人もいるのは間違いない。

 

侃侃諤諤(「かんかんがくがく」、「けんけんがくがく」ではない。それは喧々轟々けんけんごうごう)議論して決着をつけたい。

 

軸を太くする

 

一つひとつの仕事に、

 

メールに、発言に、ミーティングに全力を尽くす。

 

それを、自分の、仲間の、組織の成長に繋げられるようにする。

 

その結果、


自分の軸が、仲間の軸が、組織の軸が太くなる。

 

強くなる。

 

ぶれなくなる。

 

そう信じている。

 

器が溢れる前に

 

器に大小はあっても注ぎ続けたらいつかは溢れてしまう。

 

溢れるときには溢れるのは自明の理。

 

溢れる前に、

 

飲み干してよし、

 

別容器に移して保存するもよし、

 

いっそ穴を開けて永遠に溢れることがないようにするのもいいかもしれない・・・

 

不完全という完全

 

イライラの原因はあるべき形になっていないから。

 

知らず識らずのうちに自分の価値観に相手を合わせようとしたり、無意識のうちにこうあるべきと思い込んだりするためにその差分が気になってしょうがない。

 

欠けている部分ばかりが目についてしまう。

 

いつの間にか完全を求めている自分がいる。

 

完全に丸い石が自然界に存在しないように完全な人間なんて存在しない。

 

川縁にある石がみな凸凹しているように誰もが凸凹している。

 

それが当たり前なのになぜ完全な石を求めるのだろう。

 

完璧さを求めて傷つくのだろう。

 

今のままで完全だと思えばいい。

 

長所を見るのではなく、ありのまま、今のままで完全であると思うことが、幸せの根源であり、秘訣なのかもしれない。

 

不完全という完全さを楽しもう。

 

難しい言葉の遣い手

 

難しい言葉や表現を好んで使う人がいる。

 

頭の良さをひけらかしているのか、流行り言葉に敏感でいたいのか、はたまた自分の世界を切り開こうとしているのか。

 

大事なのは受け手のことを考えているか否か。

 

相手の世界観を言葉や観念で拡げようとしたり、考えや価値観を深めようとしているのなら問題はない。

 

受け取り方によって捉え方も異なるのだろうが、自分の知識や頭の良さをひけらかしたいだけの人もいる。

 

傾向を辿ってみるとそういう人は大抵頭が良くても誠実さに欠けるところがあり、器の大きな人とは言い難い。

 

難しい言葉を好んで使う人がいたら、言葉の意味を調べるよりも何が目的なのかを先に探る方が学びが多いかもしれない。