強制という師

 

勉強する、効率よく働く、家事をする、運動する、食事に気をつける、ダイエットする・・・


意志の力に頼ったらよほどの人物でなければ失敗する。


努力も工夫も愛の力も役には立たない。


少なくとも長くは続かない。

 

かと言って、嘆くこともない。

 

それが人間であり、

 

我々なのだから。

 

いっそのこと、強制という力に頼ってみたらどうだろう。

 

学校も会社も家族もそれぞれ(半ば)強制的に勉強、仕事、家事をしなければならない環境と言っていい。

 

一人っ子で何もかもできればそれにこしたことはないけれど、運動するならジムに通うのがいいし、食事に気をつけるのもダイエットに挑戦するのも誰かの手を借りる方が成功の確率は高まる。

 

せざるをえない環境を作るのが一番だ。

 

強制という師に弟子入りすればいい。

 

他人の力を使えばいい。

 

強制という師を探し始めよう。

 

 

スポンジを変える

 

職場の同僚(女性)が言っていたことが新鮮だった。

 

「(食器洗い用の)スポンジをかわいいのに換えたら洗い物が楽しくなりますよね」

 

「変わらない・・・」

 

間髪入れずに正直な感想を言ってしまったのだけれど、女性の感性の鋭さであり、"kawaii"の源泉であり、男性には永遠に理解できない感性の違いなのだと感じた。

 

それでもiPhone6のカバーが随分くたびれてきていて、変えたいと思っていたところ、

 

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気に入ったものを見つけて取り付けてみると、

 

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新しい感覚、楽しい気分になれて驚いた。

 

女性の感性の豊かさであり、世界が女性の感性で成り立っている理由を深いところで理解できた気分になれた。

 

家のスポンジも変えてみたらいいかもしれない。

  

ほころびというサイン

 

 

あるお店でのこと。

 

隣にいたダンディな男性が4万円もする高価なセーターを何のためらいもなしに購入した。

隣にいた私はありえないと感じつつもうちに帰りバッグを開けてみると、なんとその高価な手縫いのセーターが入っているではないか。

驚きつつも胸に当ててサイズを確認してみると腰回りの一部にほころびが見つかった。

それが結構大きなほころびになり、苦情を言うつもりでお店に戻ろうとしたところで目が覚めた。

今朝見た夢の話である。

その後、録画して観た今日のNHK朝の連続テレビ小説ひよっこで主人公のみね子がお母さんと一緒に行方不明だった父と女優と話し合うという緊迫した場面でお母さん演じる木村佳乃が自分の着ている上着にほつれを見つけてそれがやたら気になるシーンがあった。

 

それが心の何処かに引っかかりつつも仕事に出掛けると思ってもみなかったところでトラブルが生じていた。

 

万全を期すつもりで働いていてもちょっとした油断や慢心、そもそもの力不足でほころびが生じてしまう。

 

大事なことはすぐに修繕すること。

 

ほころびをそのままにしたら大きな穴になってしまう。

 

高級なセーターも台無しになってしまう。

 

夢のほころびも朝ドラのほころびも何かのサインかもしれない。

 

もう一度、気を引き締めて事に当たらなければならない。

 

いっそのこと

 

昨日のブログで「いっそのこと」という言葉を使ってふと思った。

 

開き直るための魔法の呪文だと。

 

いっそのこと全部やめてみるか

いっそのこと全く違うやり方を試してみるか

いっそのこと目標自体を変えてみるか

 

これまでしてきたことを総括し、それでもそのまま同じ軌道で進めないと悟った時に方向転換をするために使う表現。

 

そこには驚くほどの爽やかさがある。

 

潔さがある。

 

いっそのこと

 

このブログもやめてみるか。

 

 

 

なーんて。

 

不思議なほどまだまだこの軌道のまま進んでいける、いきたいと感じている。

 

皆様  これからもよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

開き直る

 

苦しくて苦しくてどうしようもない時

 

足掻いて足掻いて足掻き抜いても一向に光が差し込んで来ない時

 

そんな時は、

 

①光が見えるまで足掻き続ける

②その場にうずくまって体力の消耗を避ける(タイミングを待つ)

③諦めて来た道を引き返す

 

誰かに頼ることができないのなら、それら3つのうちのいずれかしかない。

 

どれが正しくてどれが間違いというのではなく、その場その場で対応していくしかないのだけれど、時にブレークスルーが起こるのは③のケース。

 

苦しくて苦しくてどうしようもない

 

そんな風に感じて行き詰まり感に苛まれている時にはいっそ、

 

「やーめた」

 

と言って、来た道を引き返してみればいい。

 

幾ら叩いても壊れないのならいっそ壊すのをやめてみたらいい。

 

解は全く別の場所にあるのかもしれない。

 

悩み苦しむよりも開き直って明るく楽しくリラックスしていた方が案外うまくいく。

 

下を向いてうんうん唸っていた時には見えなかったものが見えるようになるかもしれない。

 

いっそのこと開き直ってみたら新しい世界が広がるかもしれない。

 

 

一瞬を切り取る ー今を感じるー


今年の月一企画は「一瞬を切り取る」と題して、日々の生活の中の一瞬を切り取ってスポットライトを当てるというもの。

 

今日のテーマは「感じる」を選びたい。

 

巷では「マインドフルネス」が大流行りである。

 

日本には古くからある禅や瞑想を宗教の要素を取り払ってステップをシンプルにしたもので世界中の著名人やスポーツアスリートが集中力を高めるためやストレスの軽減、幸福感の増進のために実践しているという。

 

今日はマインドフルネスというよりはその真髄と言える「今を感じる」に焦点を当ててみたい。

 

人は何もしていなければ、いろんなことを考えているらしい。

 

厳密に言えば「考えている」というよりはいろんなことが頭の中を駆け巡っているという方が正しいらしく、約50%の時間は、今夜何を食べようとか、あの時は楽しかったなとか、明日の仕事嫌だなとか、あの人は今頃何をしてるんだろうとか、取り止めのないことを考えているのだとか。

 

それは「マインドワンダリング」と呼ばれていて心が漂うことで膨大なエネルギーを費やしているのだそう。

 

「今を感じる」のはその浪費されているエネルギーをセーブするだけでなく、今に注目することで心と体を一つにできる、身心一如の状態に近づけることができるという。

 

方法は簡単だ。

 

マインドフルネスの手順もいいけれど、もっと簡単でいい。

 

寝転がり、上向きになる。

 

目を瞑り、自分の呼吸に意識を向ける。

 

吸って吐く。

 

次に自分の足先を感じる。身体が触れている椅子やベッドや布団を「感じる」。

 

心がいろんなことを考え始めたら呼吸や今自分が感じている感覚に意識を向ける。

 

それだけ。

 

それを何分か繰り返すだけで落ち着いた気分になれ、次第に眠りに吸い込まれていく。

 

寝落ちてしまったらそれはそれでいい。

 

今を感じることでリラックスでき、心を解放できるのだから。

 

 

一瞬を切り取る ー読書ー
一瞬を切り取る ー眠るー
一瞬を切り取る -歩く-
一瞬を切り取る -呼吸-  
一瞬を切り取る -髭剃り-
一瞬を切り取る -おにぎりを食べる-