自分の中にしか答えがない問いはインターネットで検索しても正当は見つからない。
昨日のブログでそんなことを書いた。(検索できない問い)
そもそも我々は効果的な問いを自らに発しているだろうか?
自分のしたいことをしているか?
自分のしたいようにしているか?
自分を超えられるよう頑張っているか?
周りにいる人たちに効果的な質問を投げかけるためにはまずは自分に質の高い問いを発していなければならない。
質問の質を自らに問うことから始めてみたい。
最近感じていることの一つは「質問」をどれだけ使えているか。
考えが浅い、なぜそれをするのか理解してない、行動が淡白、粘り強さが足りない・・・等々、仕事をしていて感じる不満や課題は山ほどあるけれど、それぞれの根底に、質問がうまく使えていないからがあるように思えてならない。
マニュアル世代と呼ばれることの多い最近の若者はとかく効率がいい。ネット世代はそのまま正解、多数派の意見、評判の高い情報を瞬時に得ることに慣れていて、それ故に答えのない問いと格闘する経験を積んでいない。
と言っても、それは若い世代だけの問題ではなく、日本人の共通の課題と言っても間違いではないだろう。
iPhoneのアプリ「iQuestioner」を起動するとこんな質問が投げ掛けられる。
ハッとする瞬間だ。
問いがあるから答えを考える。
問いがないから答えがない。仮説を考えることもない。仮説がないからその証明をする必要もない。だから動けない。動かない。
まずは自らに問うことから始めればいい。
検索しても答えの見つからない問いと格闘する勇気を持って。
昨日のブログ「薬のリスク」には隠されたテーマがあった。
それは・・・
タイトルを前から読んでも後ろから読んでも同じになるという回文であること。
まさか、逆さま ?
も回文だ。
なぜか昔から回文には興味があって、このブログでも一度回文を取り扱った。(怪文?回文!)
これを機に最新の(?)回文を集めてみよう。
まだまだ続く・・・
美しい!
日本語のすごさを改めて実感した。
目が痒くなり始めたのは今年の始めだったろうか。
少し早めの花粉症が今年は目に来ると思っていて、市販のアレルギー用目薬を差しては収まる痒みに特に問題を感じることはなかった。
様子が変わり始めたのは6月の終わり頃。
花粉症の季節は終わったはずなのに目が痒く感じられて知らず知らずのうちにこすって、目の周りが赤く腫れるようになった。こすりすぎてかすかに傷ついたところから炎症が酷くなり、近くの眼科を訪ねては薬を処方してもらい様子を見る。
忙しさと患部の回復もあって完治する前に通院をやめると夏休みを明けた頃から悪化し始めた。
しばらくぶりに訪ねた眼科では7月に処方した薬が効いたのかどうかがわからないので同じものを処方すると言われ、今度は1週間以内に必ず来てくださいと言われた。
処方された薬は、
バラシクロビル錠500mg 「わかもと」 5日分
ソビラックス眼軟膏3%
ガチフロ点眼液0.3%
立派な薬ではあったものの軟膏を目の周りに塗っても一向によくならない。むしろ症状は治るどころか悪化しているとさえ感じられた。痒みで寝ている間に掻いているのがよくないのもわかっていた。
あまりの痒さと目の周りの違和感、腫れのせいで1週間を待たずに同じ眼科を尋ねると、それまでとは違う先生がいて、状況を説明をすると、異なる処置をしましょうと、眼科処方の2種類の軟膏とフルオロメトロン0.1%点眼液を処方してくれた。
驚くことに、その新しい処方の薬を使うと、驚くほど短時間に症状が回復を始めた。
「薬のリスク」を感じた瞬間だ。
完治まではまだしばらく時間が必要だろうし、一気に完治まではいかないかもしれないけれど、焦ることなく、治療を続けたい。
ちょうど2年前に中尊寺で買ったお守りのことを思い出して、今更ながら神頼みさえした次第である。
いつの頃からかはてなブログから時々メールが届くようになった。
1年以上ブログを続けている人対象に過去に書いたブログを見直してみませんかという内容。
かれこれ7年近く毎日書いてきたこのブログだけれど、自分で思っていたほどに読み返すことが少ない。
それでも何かのきっかけで振り返ることがある。
はてなからもらうメールもそのきっかけの一つだ。
ありがたいのは、過去のブログを読み返す度に新たな発見や反省することがあって、自分が書いたにもかかわらずすっかり忘れていることも少なくないから。
お浚いの価値(おさらいのかち)を痛感する。
ここ数年の9月に書いたブログを振り返って特に印象に残ったもの、これからも特に意識していきたいものを浚ってみよう。
高貴な人格を 2016-09-03, 高貴さの源 2016-09-06
邪悪な風 2015-09-13
置きにいく 2014-09-20
疑問から始まる学び 2013-09-03
空気の指揮者 2012-09-04
新しい言葉を使う 2011-09-11
改めて読み直してみると、反省ばかりが残る。
それがお浚いの価値。
新たな気持ちで何度も何度も何度でも心と頭の中に溜まっている土砂を浚って、記憶ややる気の流れをよくしていきたい。
《由来語源》お浚い/お復習【おさらい】の名前の由来語源《ユライカ》
人生で成功するために必要な法則(性質)が明らかになったそうだ。
TEDの有名なプレゼンテーションの一つで、タイトル等は失念しまったが、おおよそこんな内容。
アメリカのあるコンサルタントが実験を重ねた結果、人生で成功するための法則(性質)が判明した。
4歳の子どもたちを1人ずつ部屋に入ってもらい、目の前にマシュマロを置いてこう言うのだという。
「15分間このマシュマロを食べずに我慢したら2つあげるよ」
そう言って大人が部屋を出ると子どもたちがどんな態度を取るかをビデオで撮るというわけ。
さて、どれくらいの子どもが我慢し切れずにマシュマロを食べ、どれだけの子が我慢できるだろう?
プレゼンテーションでは愛くるしい男の子、女の子たちが必死にこらえようとするものの我慢しきれずにマシュマロを頬張る姿が次々に映し出される。中にはマシュマロをじっとにらんだり、においをかいだり、とにかく豊かな表情が4歳児らしくてとにかく可愛い。
結果はと言うと、3分の2が我慢しきれず食べてしまい、3分の1が我慢できるのだという。
面白いのは、この実験はどの国でやっても人種や場所を変えてもほぼ同じ結果になるという。
更に興味深いのは、その実験結果だけでなく、その子どもたちをその後10年、20年かけて追跡調査しているということ。
我慢できずに食べてしまった子どもたちはその後様々な人生の困難に出会い、トラブルに苦しむことが多い一方、我慢できた子どもたちは一人残らず優秀な学生生活を送り、社会人になってからも成功しているのだという。
そう。
プレゼンテーションで明らかにされた「人生で成功する秘訣(性質)」は、「将来のために目の前の誘惑に勝る忍耐力」なのだという。
明日のために今日しっかりと準備ができるセルフコントロールがいろんな場面で成功の源になるという。自分を律する力を鍛えることが大切であると仄めかされてプレゼンは終わる。
持って生まれたものもあるだろう。両親の育児、教育、環境もあるだろう。
自分の4歳の頃はわからないけれど、今からでも、この瞬間からでもできることはあるはず。
「将来のために目の前の誘惑に勝る忍耐力」を意識して、明日のために今日もうちょっとがんばりたいと思った。
キーボードの電池が切れた。
マウスの電池も切れた。
そう思っていたら、自分の電池も切れかかっていた。
息子の中学の先生の言葉を思い出した。
今は充電の時。
足掻かず、焦らず、
静かに待てばいい。
充電が終わるのを。