美意識を高める

 

iPhoneが世界のどこよりも日本で受け入れられているのは日本人の高い美意識から来ている。

 

それは筆者の見解だけれど、何かを美しいと感じる感覚がこれからますます大事になってくると感じていたところ、こんなタイトルの新書を見つけた。

 

 

買って読んでみるとこれがドンピシャの内容でスマッシュヒット!

サイエンスが持ち込まれた経営では合理性という正解がコモディティ化され、競争力の源泉が別のもの、美しさに移っていくようになり、美意識を鍛えることが重要になる時代を迎えているという。

 

そんな時代に本来日本人はフランス人と並んで世界トップクラスの美意識を持っているにもかかわらず工業商業面では真の実力を発揮できていない。

 

それだけでなく、モラルや精神、魂のレベルの美しさを見失っておりそれが昨今の数々のデータ改竄等の不祥事に繋がっているとの指摘にもハッとさせられた。

 

美意識を高めるための具体的な方法は限定的な紹介ではあったものの様々な面で示唆に富む、元々経営にサイエンスを持ち込んだコンサルティング業界に精通した筆者の合理的でわかりやすい論理展開だった。

 

「美しくないのよねぇ」

 

会議用の机の並びを見て呟いたかつての上司の言葉が今も心の中に残っている。

 

人としての美しさ、内面の美しさも感じ取れる美意識を、

 

まずは自主トレで鍛えていきたい。

 

不自然さを放つもの

 

何か変、何かがしっくりこない、肌感覚でおかしいと感じるときがある。

 

理が無い、自然ではない状態はどういうわけかわかるし、その感覚は大抵正しい。

 

かと言って、その感覚を定量化することは容易くはなく、また明文化することも至難の技だ。

 

無理して作り上げられたものには不自然さが付き纏い、違和感を発散しているもの。

 

予算に縛られて大量生産された陳腐な商品も特徴をデフォルメされた奇異な攻め過ぎ製品も高過ぎる目標を達成するための非現実的な計画・・・

 

アルコール度9度のビールを飲みながらふとそんなことを考えた。

 

二物を得る

 

天は二物を与えず

 

ということわざはあるけれど、本当にできる人は二物も三物も四物も五物や十物だって持っている。

 

最近仕事で会った何人かは頭が良いだけでなく、謙虚であり、感じよく、プレゼンテーションも最高で、中にはルックスのいい人もいて、とにかく人としての魅力に溢れている。

 

天からえこひいきされていると羨むのは簡単だけれど、そこから生まれる前向きなものは何もない。

 

むしろ、後ろ向きになりやすい材料であり、それこそ変換力が試される場面と言える。

 

それらは決して天から与えられたものではなく、自ら得たものも多いのではないか。

 

見えないところでかいた汗と流した涙の結果てばないか。そう取ればいい。

 

二物を与えられなかったことを嘆くのではなく、自ら二物、三物を得る。

 

創っていく。

 

その気概を持てばいい。

 

あとはどうやってたくさんの「ブツ」を得られるかを考え、行動していく。

 

それがレベルアップであり、ロールプレイゲームの、人生の醍醐味なのだから。

 

 

 

変換力を鍛える

 

感嘆の声も噂話も誹謗中傷も全て自らの力に換える。

 

 

耳に入ってくるいかなる声も目に飛び込んでくるどんな光景もそれ自体には何の意味もない。

 

単なる記号に過ぎない。

 

意味づけをするのはあくまで自分だ。

 

頭の中には自らプログラムし、繰り返し刷り込んで強化した変換システムがある。

 

そのシステムをポジティブに作動させるのも自分、反対に動かすのも自分。

 

周りから聞こえてくる賞賛も罵声も羨む声も憐れみも不用意な発言も所詮は外部入力に過ぎない。

 

その情報をどう翻訳するのか、変換するのかは自分次第なのだ。

 

頭の中で、

 

心の中で、

 

自由自在に変換すればいい。

 

その変換力を鍛える。

 

 

頂上から頂上へ

 

昨日のブログを書いてふと昔聞いたことを思い出した。

 

頂上から頂上へは比較的簡単に移れる

 

いつ頃、誰が言っていたのかは全く覚えていないけれど、テレビで聞いたことだけはぼんやりと覚えている。

 

何かを極めるのは高い山に登るのに似ている。

 

一つの高い山を血と汗と涙にまみれながらも登頂することができれば、その途中で学んだことは必ず何らかの形で他の山を登る時に活かされる。

 

それは間違いない。

 

それでも一から登る苦労が付き纏う。

 

頂上から頂上へ

 

とは、一度登った山を下山することなく、次の山の頂上に移ること。

 

そんな連峰、連山があるのかと思うけれど、それだけでなく、ヘリコプター降下という技が現代にはあることを忘れてはならない。

 

もちろん誰もがそんな連山を知っているわけでも、高価なヘリコプターをチャーターできるわけでもない。

 

ただ、それを志向し、誰も登ったことのない山々を血の滲むようなロッククライミングを続け、征服できた人たちに与えられる特権と言える。

 

一部のトップアスリートやタレント、そしてプロ経営者と呼ばれるような専門性を極限まで高めたプロフェッショナルたち。

 

頂上から頂上へ

 

そんな誰も見たことのない絶景がいつかは眺められるよう日々の一歩をしっかりと踏み締めながら歩いていきたい。

 

井の中にて

 

井の中の蛙大海を知らず」

 

狭い世界に生きていると広い世界を知らない。

 

そんな誰もが知っていることわざに続きがあることをご存知だろうか。

 

井の中の蛙大海を知らず

   されど空の深さ(青さ)を知る」

 

空の青さとその深さを知る蛙はたとえ海の広さを知らずともまた別の価値を知っていることになる。

 

何かの価値を深く知っている者は想像力さえ働かせられれば応用が利くこともある。

 

大海に出たとしても適応し、生き延びることができるかもしれない。

 

大海を謳歌し、進化し、新たな変態(メタモルフォーゼ)を引き起こすかもしれない。

 

井の中で育ったのは蛙の責任ではない。

 

問われるのは、与えられた場所と条件下で何を見て、聞いて、学ぶかなのだ。

 

たとえ井の中であったとしても。