自分を元気にするもの

 

ビール、鯖の塩焼き、アスパラバター、ヨーグルト、ソファの昼寝、夕方のお風呂、青い空、深呼吸、風、誰かからの感謝の言葉、あてのない散歩、軽いランニング、麻婆豆腐、タコス、すだちを絞った◯◯、お茶漬け、誰かの笑顔・・・

 

自分を元気にするものを知っていると結構役に立つ。

 

そんなリストを増やし続けたい。

 

ふと、これを思い出した。

 

http://norio373.hatenablog.com/entry/20120401/1333243085

 

 

見えないところ

 

日本製品は裏側の見えないところもきちんと作られている。それが他の国で作られた製品との違いであり、信頼性の源になっている」

 

そんな話を聞いた。

 

別の視点から考えると見えないところにお金や時間をかけるのはバカなだけという意見ももちろんある。

 

実際にそれがコスト増になり、料金に転嫁され、価格競争力を失ってしまったという見方もある。

 

それでも表面の見えるところだけを良くしても中身が伴わなければ見掛け倒しになるのは古今東西かわらず真実だ。

 

見えないところに気を配り、磨きをかけることで実のあるものになる。

 

本物になる。

 

品格が漂うものになる。

 

ヒトもモノも同じだ。

 

見えないところにどれだけエネルギーを注げるか。

 

それにかかっている。

幸せ病

 

NHK朝の連続テレビ小説「半分 青い」の主人公鈴愛(すずめ)の母親 晴さんが癌を患ってしまった。

 

主治医から5年生存率が50%と言われて、心配した鈴愛が帰省する。自宅療養している病床で2人が話し出す。

 

・・・(生存率の)確率はどうでもええな。今生きとるってだけで、幸せな気分や。お母ちゃんな。最近幸せで幸せでしょうがないんや。朝が来るだけで嬉しい。楽しい。幸せや。うーちゃんのいびきもなんや幸せの印の気持ちになるんや。なんや知らんがどんなときもキラキラして思える。お母ちゃん、今、幸せ病や。

 

幸せ病か。何や、それ、ええな。

 

主人公の鈴愛が9歳の時に病気で左耳が聞こえなくなったシーンが回想される。

 

あんた9歳の時、片耳聞こえなくなった時、雨の日の遠足の朝に言いよらした。黄色い傘さして言いよらした。

 

あ、お母ちゃん、面白い! 半分だけ雨降っとる。右だけ雨降っとる。

 

そっか、左  聞こえんもんね。すずめの左がわはいつだって晴れやで。

 

半分、青い。

 

 

晴さんが懐かしそうに思い出を浮かべながら続ける。

 

何や素敵やなあ。あんたが教えてくれたことや。

 

ほりゃあお母ちゃん、ガンやってよかったってとても思えん。健康の方がええに決まっとる。当たり前や。

 

ほやけど、今まで見えんかった景色が見えてくる。

 

半分、青い。 って言ったあんたみたいに。これが私の人生や。ほう思うと、どんなたいへんなことがあっても 愛しいな。

 

気がついていないだけで、我々は皆、「幸せ病」という不治の病に罹っている。

 

ガンはもう不治の病ではない。

 

 

膨大な裏側

 

シンプルでわかりやすい

 

それが優れたデザインや使いやすさを担保する。

 

その裏側には膨大な裏側があることを改めて知った。

 

かつて世界を席巻した日本のエレクトロニクス製品は性能の良さと壊れにくさを誇ったもののデザインや価格で競争力を失って今もなお苦戦中だ。

 

それでも確実に進化はし続けていて、再び脚光を浴びる日が来ることを信じている。

 

シンプルな顔と膨大な裏側を持って。

 

対峙する時

  

逃げると

 

追いかけてくる。

 

必ず。

 

逃げる時は、追われること、必ず追いつかれること、いつかは対峙しなければならないことを頭に焼き付けておかなければならない。

 

と言っても、逃げるのが悪いという話ではない。

 

不意を突かれた時、大義のない時、戦力が欠ける時、アウェイの時、つまり戦う準備が整っていない時に戦うのは勇気ではなく、蛮勇というもの。

 

逃げたらいい。

 

それでもいつか必ずその時は来る。

 

対峙しなければならない時が。

 

その時のために準備をしていたい。

 

大学時代に逃げ続けた簿記がついに追いついてきた。

 

対峙する時が来た。

 

少なくとも気持ちの準備は整っている。

 

近視にならぬために

 

近くにあるものばかりを見ていると近視になる。

 

科学的に証明された事実かどうかはわからないけれど、昔からの経験値で因果関係があると言われている。

 

時々緑を見るといいとか遠くを見るといいというような話を聞くし、それができる環境ならそうしてもいる。

 

それでもネット社会においてスマートフォンタブレット、PCの画面を見続けているとずっと近いところばかり見ていることになる。

 

仕事も同じだと感じた。

 

自分の仕事には、得意なこと不得意なこと、それぞれあっても、これまで自分が実際にしてきたことであり、今自分がしていること。

 

それは手に届くところにあって、それなりの理解と洞察が得られる世界。言い換えると自分が見ている、見えている世界。

 

電車の中で斜め向かいに座っている男性(30代前半)が貪るように本を読んでいた。

 

覗き込んでみると、タイトルにこう書かれている。

 

「この一冊で全部理解できるネットワークの基本」

 

0から学ぶのは大変でありつつも新しい世界を切り拓くことでもある。

 

これまでの自分では見えない遠い世界を見ることでもある。

 

近くものばかりをずっとみていたら近眼になってしまう。

 

近くのものを見るだけではなく、時々顔を上げ、遠い世界を見てみるといい。

 

視力は鍛えられ、近くも遠くも見えるようになるはずだ。

 

いろんな立場

 

いろんな立場がある。

 

組織の責任者がいれば、中間管理職もいれば、下っ端のペエペエもいる。

 

期待されている人もいれば、冷や飯を食らっている人もいる。

 

当事者がいれば、部外者もいて、高みの見物をする人もいる。

 

熱い想いを持っている人がいれば、冷めた人もいる。仕事と割り切って最低限のことをする人がいれば、自分が納得するまでやめない人もいる。

 

成果を手放さない人もいれば、命も名誉も地位も要らぬという始末に困る人(!?)もいる。

 

この世の中にはいろんな立場の人がいる。

 

大事を成すためには、いろんな立場の人の視線や想いを汲み取った上で、同じ目標を追いかけていかなければならない。

 

立場が違うことを前提にしなければならない。

 

それを肝に命ずる。