昔という時代

 
「昔は良かった」
 
 
なんていつの時代でも言われていたに違いない。
 
 
ほとんどの場合、十数年からせいぜい数十年前に自分が経験したことが美化されて感傷的に表現しているだけ。深い意味はない。
 
 
それでも最近よく感じるのは情報化社会がインターネットの出現で加速し、人々が溺れそうになっていること。
 
 
電車の中や歩きながらでもスマートフォンを手放さず常にニュースやメールやSNSのメッセージをチェックせざるを得ない人が急増している。
 
 
私もそんな中毒患者の一人なだけに偉そうなことは言えないけれど、ふと「昔はよかった」的な想いに駆られてしまう。
 
 
スマホもインターネットもない時代はつい20年ほど前のこと。
 
 
スマホもインターネットも携帯電話もテレビもラジオもなかったならどんな毎日になるだろう。
 
 
もっと言うと、車も電車もパソコンもなく、電子レンジもコンビニもスーパーもユニクロもない生活なら。
 
 
食べるための作業に時間はかかるだろうし、着るものを整える時間とエネルギーも今よりも圧倒的にかかることは間違いない。
 
 
日々の生活に時間がかかり、生きることにもっと必死にならなければならなくなるのは容易に想像がつく。
 
 
それでも生きていくために直接必要のない社会情勢を知ることや友人とのコミュニケーション、だらだら見てしまうテレビやゲームに使う時間がそれ以外に向けられることは間違いないだろう。
 
 
身の回りにあるものにもっと注意が払われるようになるはず。
 
 
風や雲や花や木や雨や土や水や山や海にじっと目と耳を傾け、匂いを嗅ぎ、手で触り、その感触を楽しむのではないか。
 
 
遠く会えない人とではなく、身近にいる家族や友人との時間を大切にするのではないか。
 
 
そして、もっと自分のこと、自分の内面について考えるようになるのではないか。
 
 
外的環境と内的環境の間を意識がもっと頻繁に行き来するようになる。それが実を伴った過程であることでより確実な成長を生み出すことになる・・・
 
 
その結果、
 
 
我々の存在理由をより深く感じ、考え、全てを司る「大いなる存在」について意識と理解をより深められるのではないか。今よりも充実し、満足、感謝する毎日をおくれるようになるのではないか。
 
 
ふとそんな想いにとらわれた。
 
 
「昔という時代」に想いを馳せるのも悪くない。