過去と現在が融合する瞬間

 

今回のアメリカ西海岸への旅行は子どもたちにとっては初めての海外旅行だったのだけれど、妻と私にとっては、巡礼の旅という側面が少なくなかった。(巡礼=ピルグリメイジ→村上春樹の「ラオスにいったい何があるというんですか?」によると)

 

およそ20年前に住んでいたロサンゼルスという街を一度は子どもたちに見せておきたかったというのが一番の理由だったけれど、何かを確認するため、清算するためという目的が深いところであったように感じられてならない。

 

当時3年強生活をしていた街は、20年という歳月を経て、当たり前だけれど、大きく変わっていたところと驚くほど何も変わっていなかったところの両方が混在していた。

 

抜けるような青い空や陽射しの強さに反して日陰に入ると涼しい乾いた空気、街並み、街の雰囲気は、ほとんど記憶のそれと変わらない一方、個々のお店や顔ぶれ、人々が醸し出す雰囲気は驚くほど変わっていた。

 

当時住んでいた場所を再訪すると、番地は同じでも建物は建て替えられていて、おもむきは同じでもやはり違った雰囲気が漂っていた。

 

実際にその場所にいざ降り立つと、目に飛び込んでくる風景や風の流れ、匂い、そんなものと一緒に時間を遡る不思議な感覚が身体中を覆う。

 

と言っても、完全に過去にタイムスリップするわけではなく、その過去の時点から今までに起こった出来事やそこから得た経験や学びを持ったまま過去を体験するような感覚。

 

言わば、

 

過去と現在が融合する瞬間だ。

 

自分自身の過去と現在、街や国が辿ってきた過去や歴史と今の街や国が置かれている状況を、感覚的に、思考的に、一緒に味わう感覚、と言っていいかもしれない。

 

それを比較してみるためにも、

 

感覚で捉えたこと、頭で分析したこと、そんな発見や気づき、学びをここから数日の間で振り返り、明日(未来)に繋げたいと思う。

 

過去と現在が融合する瞬間の意味を理解するためにも。