ハングリー精神

ハングリー精神


という言葉は死語になったのだろうか。


この飽食の時代にお腹を空かし、強烈なまでの上昇志向をもつことは似つかわしくないのだろうか。


戦後の日本にはハングリー精神が国民全体に漲っていた。


高度成長期にすら家庭環境によって満たされぬ日々を送る子どもたちは常に飢えていた。


そんな子供たちは反社会的な側面を持ちつつもバイタリティに溢れ、強く生きることを社会から求められ、そして応えていった。


その結果、数十年が経ち、日本は豊かになり、周りを見渡すと飢える者は姿を消していた。


次に気がつくと、バブルは弾け、不良債権が山のように積まれ、社会全体がどんよりした空気に包まれていた。


「失われた10年」の間にアメリカは復活し、EUは統合力を発揮し、新興国は着実に力をつけていった。


日本は世界から取り残され、人々は老い、活力は失われていった。


派遣切りが横行し、貧困層が増え、路上生活を余儀なくされる人さえ珍しくなくなってきた。


にもかかわらず、ハングリー精神という言葉が蘇ることはない。


怒りにも似た強い心はどこへ消えてしまったのだろう。


世界第2位の経済大国という地位を中国に明け渡し、海外への進出競争では韓国の後塵を拝し、海外留学生の数も激減し続ける日本。


世界的な食糧危機が生じ、本当の意味で飢餓状態になるような危機的状況にならなければ我々は目を覚まさないのだろうか。


民主党政権下で迷走を続ける日本。


本当の飢餓状態になってからのハングリー精神では遅すぎるのだ。