なぜとなぜなら


なぜとなぜなら



暗号ではない。



何故と何故なら、だ。



考えることをテーマに昨日のブレークを挟んで(?)今日で4日目に入る。



英語を使って海外で生活をした時に感じたことはwhyとbecauseが日常生活の中に浸透していること。



仕事場はもちろん、家庭でもwhyが飛び交い子供の頃からbecauseを使って自分の意見や物事の理由を考え、伝える訓練がなされている。



我々日本人が必要としているのはまさにこれだと感じた。



戦後教育の責任か、マニュアル世代の特徴なのか、或いはDNAに刷り込まれた東洋哲学の本能なのかはわからないが、物事を全体的に、ありのまま捉え、その事に疑問を持たない日本人。



考えることを日常生活の中に根付かせる方法に「なぜ」と「なぜなら」がよいと思った理由は、①いつでもどこでもできるから ②ロジック(論理)の初歩かつ最も重要な根幹を鍛えられるから ③自分の考えを伝える訓練になるから



新興国の急成長とICT(Information and Communication Technology)の進化で世界は急速に狭くなってきている。世界中の人たちとコミュニケーションを取るということは決して夢物語ではなくなっているし、文化や習慣の異なる人たちと理解し合うためには、英語という共通語に加えて、相互理解のプラットフォームとでも言うべき「ロジック」が必要だ。いくら流暢に英語を話そうが自分の意見を論理的に説明することなく相手を説得することはできないのだから。



たとえ国際的なコミュニケーションに縁のない人にとっても、自分の意見を筋道立て、きちんと相手に伝えられるスキルは必ず役に立つ。個人レベルでも自分の中にあるもやもやをスッキリさせることができるし、自分を深く知り、人生をより積極的に生きるきっかけにもなるのだから。



まずは自ら「なぜ」を投げかけ、自分で答えることから始めてみようではないか。