邪馬台国を掘る


邪馬台国を掘る」



というタイトルのNHKスペシャルを観た。



3世紀に存在したとされる邪馬台国がどこにあったかという論争(九州説、近畿説)に決着がついていないというのは知っていたけれど、最近その論争を左右する発掘が奈良県であったというのは番組を見るまで知らなかった。



以下はNHKホームページからの抜粋だ。



一昨年、奈良県の纒向(まきむく)遺跡で邪馬台国の女王・卑弥呼の王宮ともいわれる巨大な建物群が発掘された。纒向は、東西2キロ/南北1.5キロの巨大遺跡。弥生時代末期の3世紀、突如建設された日本列島の中心都市だったことが明らかになり、邪馬台国の最有力候補地とされている。

去年夏、古代史最大の論争に決着をつけるべく建物群の周辺で更なる発掘が行われた。特に期待されたのが王宮跡のすぐわきで見つかった長さ4メートルの穴。王宮内で使用された貴重品を納めた“聖なる井戸”と推定されており、邪馬台国の決定的証拠になる中国の魏王から卑弥呼への贈り物を封じた印(封泥)や、魏との外交木簡が探された。
発掘現場からはここにあった国が諸国の連合国家であったことを示す土器、人為的に破壊された銅鐸、そして2000個を超える多数の桃の種などが出土した。これらは何を意味する物なのか。「倭国大乱」と呼ばれる内戦に直面した王たちが、新たな大王を「共立」したという王権誕生の謎、そして弥生時代の古い宗教を捨て、新たな国家統合のシンボルとなる宗教を創始したことが判明してきた。
果たしてここを卑弥呼の邪馬台国とする決定的な証拠は発掘されるのか?番組では、纒向遺跡の発掘に密着し謎のベールに包まれた実像に迫る。以上



わくわくしてこないだろうか。



過去に起こったことは事実であり、右にも左にも動かすことができないはずなのに、それがあたかもまだ起こっていない未来の出来事のように私たちをわくわくさせるのはなぜだろう。



邪馬台国が奈良にあったとしても北九州にあったとしてもなんら普段の生活に影響を及ぼすことはないのに。



こうは考えられないだろうか。



未だ起こっていない未来のことだからと。



もしかすると、歴史上の事実でさえも我々が発見するまでは未だ起こっていないのだと。



空想は拡がる。



いつかは卑弥呼の姿も「発見」されるのだろうか。