発見→発聞→発見


発見した。



というべきか、



「発聞」したというべきか。



聞くという漢字の門構えの中は「耳」ではないというのを知っているだろうか。



「耳」では五画目の長い線が第六画の垂直の線を通り越しているが、「聞」では通り越さない。



確かに「聞」の中をよーく見てみると、垂直の線を越えていない。



今までの知識であれば小学校二年生の漢字テストで×をもらうことになる。



だからと言って、デジタル社会の今日、手書きで必要なそこまでの正確さがどれほど求められるのかは大いに疑問だ。



にも拘らずここでトピックとして挙げるのはこのブログのテーマが気づきであり、発見であるから。



そして、正確性という私が苦手としている大切なことが凝縮されているから。「話す」という漢字ではなく「聞く」という漢字だということも象徴的かもしれない。



「正確性」と「聞く」ということをもう一度意識し直しなさいという神様からのメッセージという気がしてならない。