しばらく前のこと。
セブンスディメンションという言葉のついた企業と付き合いがあった。
宇宙の構造は多次元世界なのではないか。
昨日のブログを書きながらその企業名と多次元世界というコンセプトについて想いを馳せた。
と同時に、ふと、サイバー空間は4次元、心の中は5次元、fa;4u3foashjerianai(何かわからないもののたとえ)が6次元、そして天国は7次元なのではないかと感じた。
最新の宇宙物理学では何十次元もの宇宙の階層が示唆されているという。
私の大好きなインディジョーンズシリーズの4作目も他次元からの存在が扱われていた。
以前のブログで「座標軸」という言葉を使った。http://d.hatena.ne.jp/norio373/20111025
座標軸が線であることに対して視座は点である。
その点をどこに置くのか。それを2次元の世界に配置するのか、或いは3次元の(立体的な)世界に置くのか。
もっと言うと、そこに時間や心の中や死や生をも包括する哲学の座標軸も加わり、5次元や6次元、7次元以上の世界に視点を据え、判断することができれば、神様のような存在にさえなれるのではないか。
そんなことができるとは到底思えない。
しかし、人間には、人間の持つ「脳」には、計り知れないほどの可能性が詰まっていることも片や知っている。(誰もが「運」や「勘」というものが存在することは知っている。ただ、科学的に証明することができないだけとは考えられないか)
2次元の世界に住んでいる存在が3次元の存在を認識することはできないと言われているけれど、それとて3次元の世界に住んでいる我々の「今の認識」でしかないのかもしれない。
想いはゆっくりと多次元世界に流れ出していく。