スマホブーム再考

天性の天邪鬼のせいなのか。



誰も彼もがスマートフォンを持ち始めると急速に自分の中で熱が冷めていった。



いや、正確には熱は冷めたとは言えない。むしろ、次のステージに上るために必死になっていると言う方が正しい。



新規契約数の8割がスマートフォン(スマホ)という恐るべきスピードで広がり始めた高機能携帯電話。過熱状態とも言える状況なだけに今一度立ち止まって考えてみたい。



スマホが人気な理由は多種多様だが、要約すると以下の3点に集約される。



●操作が比較的簡単
●多機能(カメラ、音楽、ゲーム、ウェブ閲覧、ブックリーダー、GPS機能他)
●アプリで機能を自分好みに拡張できる(いろんなことができる、楽しめる)



言わば、「手のひらサイズのPC(Personal Computer)」。



だからこそ、冷静に考えたい。



コンピュータは我々に夢とそれを叶える力を与えてくれる。



しかし、鍬や鉛筆と同じ「道具」であることに何ら変わりはない。



道具をどう使うのか、何をするために使うのか。もっと言うと、道具を使ってどう生活を変えるのか、どのように人生を豊かにするのか、如何に自分という存在を高められるのか、が問われるということ。その問いが重要であり、問いがなければ新しい価値は生まれず、道具は単なる道具で終わってしまう。



今のスマホブームは新しいモノ、便利なモノ、みんなが持ち始めたモノという理由で広がっている。



流行は必ず去るもの。



けれど、



今我々が手の平に握っている小さなコンピュータは人間の中に眠っている能力を引き出す可能性を確実に秘めている。



スマホブームの本当の理由は、表面的な使いやすさや高機能ではなく、人間の可能性を広げてくれることを我々が無意識的に感じ取っているからかもしれない。