100年先の未来から今を見たらどんな時代に映るだろう。
我々が物事を判断する価値基準が知らず知らずのうちに近視眼的になる傾向があることを改めて思い知らされた。
近視眼的になるということは、判断を下すべき対象に近寄り過ぎているために視界が狭まり、時間軸も現在に限られ、見える世界が小さくなってしまうこと。
日々の生活の豊かさや見栄えの良さ、明日の生活への不安がとりあえずない、ということだけで満足してしまってはいないか。
100年後の世界から見た我々の生活や判断が恥ずかしいものであってはならない。
しかし、それが単なる願望に過ぎないことを我々は知っている。
国がどの方向に向かうのかは、政治家が決めること。
しかし、その政治家は我々国民が決める権利を握っている。
不満を口にすることは簡単だけれど、それだけでは何の解決にもなりはしない。
大事なことは、
民主主義の力を信じ、我々人間の叡智と理性を信じ、
100年先の人々からも尊敬される選択をすること。
自分たちの孫が子供を持つ頃には22世紀に入っている。
そう、
100年先はそれほど先の未来ではないのだ。