バーチャルワールドの功罪

昨日のブログで「デジタルフォートレス」と化したバッティングセンターについて書いた。
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20120226



「バーチャルワールド」(仮想世界、仮想空間)という言葉を初めて聞いたのは80年代だっただろうか。その後も何度となく話題に登っては消え、現れては去りを繰り返した。



最近あまり耳にしないと思っていたら、それが当たり前になりつつあるからだということに気がついた。



任天堂Wii はもとより携帯電話やスマートフォンの様々なバーチャルゲーム、バーチャル株式投資、バーチャルミュージアム、バーチャルペット、バーチャル農園、バーチャル空間で楽しめるゴルフ(バー)・・・



ゴルフ場に行かなくてもゴルフが楽しめる、お金が無くても株式投資を試すことができる、農園を持たずとも収穫の喜びを味わえる、ペットライフが簡単なお世話で楽しめる・・・



一見よいことずくめに思える仮想空間だけれど、仮想空間に「滞在」する時間が長くなればなるほど不安感が大きくなるという声も耳にする。ただ単にゲームの時間が長くなることで時間の無駄遣いをしているという罪悪感なのか、リアルな世界から隔絶されたところでの体験に実感が湧かないからだけなのか、或いは、どれだけ仮想世界で時間を費やしても実際には何も生み出さない空虚感からなのか。



確かに今のバーチャルリアリティはやっと使い物になり始めた代物に過ぎず、ゴルフをしても心地よい風を感じることはできず、農園の土の感触や採れたての瑞々しい野菜の香りを楽しむことはできない。



それも日進月歩の技術開発によって克服されていけば、いつかはバーチャルワールドと現実との差が無くなる日が来るかもしれない。



いや、もう既に「その日」は来ているのではないか。



今、我々が現実に生きていると感じているこの世界が実は仮想空間であるという可能性を否定することは誰にもできない。



今ここにいる自分も、この世界も、本当の現実だという保証はどこにもない。



「マトリックス」の世界へ迷い込んだみたいだ。
a.wikipedia.org/wiki/マトリックス_(映画)