ぐうたら感謝の日

今日6月2日は「ぐうたら感謝の日」である。



正式な祝日でも日本記念日協会が認定している記念日でもない。



ドラえもんのエピソードの中の話。



のび太がカレンダーを見やって悩ましげに呟く。「ついに今年も来たか・・・ああ。」6月は夏休みにも春休みとも関係なく祝日もない悪夢のような月だと不平を言って寝転んでしまう。ドラえもんは平然と「なら、休日を作ればいい」と言って、いつものように四次元ポケットから未来の道具を取り出す。



「日本標準カレンダー!」



「このカレンダーに祝日シールを貼れば日本中が祝日になるんだ。で、今日は何の日にする?」



というようなやりとりを経てのび太が決めたのが「ぐうたら感謝の日」というわけ。



誰も働いてはいけないという祝日のせいでのび太のお母さんがご飯を作ってくれなくなり、我慢し切れなくなったのび太が最後にシールを剥がしてしまう。するとお父さんや友人たちが「どうして今日が祝日だと勘違いしたんだろう」と言いながら出社、登校していくというオチ。



このエピソードが書かれたのは70年代から80年代にかけてのこと。高度成長期からバブルに向けて日本経済が日増しに加熱していき、人々ががむしゃらに働いていた頃。



それを風刺する側面があったことはほぼ間違いない。



その後、一転してゆとりの時間や有給休暇消化率、ワークライフバランスが声高に叫ばれるようになった。それに呼応するかのように日本経済も衰退の一路を辿っていった。



いつの頃からなのだろう。



「がむしゃら」とか「一生懸命」とか「努力」とか「汗水垂らして働く」が格好悪く感じられるようになったのは。



経済的に成功することだけが繁栄を意味するわけでは決してない。



しかし、



休み、くつろぎ、ボーッとすることが人々を繁栄に導くことは、ない。



元々勤勉な日本人がここ二十数年の間似合わないことをしてきたということではないか。



再びがむしゃらに働く時がきたのかもしれない。



それが「日本人らしさ」を取り戻すことになることも知らずに・・・




ぐうたら感謝の日」にそんな想いを巡らせてみた。