LIBOR

LIBOR(ライボー)とは、



ロンドン銀行間取引金利」のことで、今日の日本経済新聞の第1面を飾ることになったイギリス大手銀行の金利不正の対象とされたもの。



昨日、一昨日と日本経済新聞からのキーワードと記事を取り上げた。



神の粒子  http://d.hatena.ne.jp/norio373/20120705
規制の虜  http://d.hatena.ne.jp/norio373/20120706



今日も引き続き、世界的に、社会的に重大な事件について考えてみたい。



本日付の日本経済新聞より



▼LIBOR(ロンドン銀行間取引金利) 主要銀行が短期市場で資金を貸し借りするときの金利。金融取引の基準金利で、英語の頭文字から「ライボー」と呼ばれる。主要銀が申告する金利を英国銀行協会が集計し、ドルやポンドなど通貨ごとに公表する。

 資金が余ればLIBORは下がるが、市場混乱などで銀行が資金を貸さなくなると上昇する。LIBORが高く誘導されれば、住宅ローンの金利負担は重くなり、企業の資金調達コストも膨らんでしまう。




英銀の金利不正、疑惑広がる 大手行が複数関与か LIBOR操作



 金融取引の国際的な基準金利である「ロンドン銀行間取引金利=LIBOR」の信頼性が揺らいでいる。英バークレイズだけでなく、複数の巨大銀行が示し合わせて金利の不正操作にかかわっていた可能性もある。世界中で企業向け融資や住宅ローンなどの指標として使われる基準金利の水準が、ゆがんでいた恐れが出てきた。






■当局が捜査に着手

 英国で経済犯罪などを担当する重大不正捜査局(SFO)は6日、LIBORの不正操作問題の捜査に着手した。これまでは英金融サービス機構(FSA)が米欧当局と連携して調査していた。

 住宅ローン金利などはLIBORに一定の金利を上乗せして決められており、不正操作の影響は大きい。LIBORが使われる金融取引は推計で360兆ドル(約2京9000兆円)にも達する。

 「マッシュルーム・スキャンダル」――。まるできのこの形をした積乱雲のように疑惑が膨らむ不正操作問題を米紙はこう例える。

 「極めて深刻な不祥事」(キャメロン英首相)には違いないが、確実にわかっていることは少ない。バークレイズが不正を認め、米英の当局に2億9000万ポンド(約360億円)の課徴金を払ったこと、経営トップ3人が引責辞任したことぐらいだ。LIBORをどうやって操作したのかは今なお霧の中だ。

 英議会で4日に開かれた公聴会。バークレイズ最高経営責任者(CEO)を辞任したばかりのダイヤモンド氏は不正への自らの関与を否定しながらもこう語った。「LIBORに問題があることを誰も知らなかったとは言えない」

 欧米で報道された情報を整理すると、LIBORの不正操作には2つの局面があったことがうかがえる。第1幕は2005年から始まった。



銀行間での資金融通の金利を大手銀が自主的に申告し、そのデータから基準金利として算出されるのがLIBOR。バークレイズでは担当者が意図的に高めの金利を伝えてLIBORをつり上げ、デリバティブ金融派生商品)などで運用益を得ていたとみられる。

■「ほんの始まり」

 利益目当ての不正操作は、金融危機が起きた08年を境にバークレイズの信用力を維持する手段に使われるようになった。相対的に高い金利を払わないと資金を調達できない実態を隠すため、低めに申告していたという。

 このとき、英イングランド銀行(中銀)副総裁が金利操作に関与した疑いも報じられている。「当時は市場の安定を名目に組織的にLIBORが操作されていた可能性はある」(米銀幹部)

 もちろん、全容の解明には疑問が残る。

 LIBORを算出する英国銀行協会に取引金利を申告するのは英ポンド建てなら大手16行。単純な平均ではなく、最高・最低の4行ずつを除いた8行の平均で算出される仕組みだ。バークレイズ単独で長年にわたって金利を不正に操作し続けるのは難しい。

 英ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドやロイズ・バンキング・グループ、米シティグループ――。金融当局が調査を進めているとされる大手金融機関は20前後に上る。複数の巨大銀行が談合して金利を操作した疑惑がくすぶる。

 最近ではバークレイズが当局の調査に協力しているという情報も伝えられている。当局の調査に協力すれば課徴金が軽減されるためだ。

 週明け9日からはイングランド銀行の副総裁ら公聴会に出席する予定。疑惑はどこまで広がるのか。欧米メディアは「バークレイズはほんの始まりにすぎない」(英紙)と指摘している。  以上



昨日のブログでは「規制の虜」に陥っていた日本の原子力発電の保安院、安全委員会について糾弾した。



欧米では進んでいるはずの管理、監査機能がイギリスという民主主義、歴史的にも世界をリードしてきた国で起こってしまったことには驚きを禁じ得ないし、ある意味では人間の弱さを再認識したと言える。



楽観主義と悲観主義という短絡的な二元論で物事を考える必要はないけれど、「規制」や「組織管理」に於いてはその両方をうまく組み合わせていかなければいけないことを再認識させられたということ。



「他山の石」として改めて新生日本のための教訓としていくべきであろう。