金メダルと引き換えに

「もし仮に金メダルが取れるけれど死ぬかもしれない薬があったとしたら飲む?」



元オリンピック選手の友人に一興として尋ねたことがある。



命と引き換えなんてのはもちろん冗談だったし、一瞬迷ったとしてもNoという答えが返ってくると当たり前のように思っていたけれど、返ってきた「もちろん飲むよ」は即答だった。



「え、死ぬかもしれないんだよ。それでも? 死んだら次にオリンピックに出るチャンスもないのに?」と振ってみても答えは変わらない。「歴史に名前が刻まれるんだから十分価値がある」という。逆に「金メダルだよ!金メダル!」とどうしてその価値がわからないのかが理解できないようだった。



今、ロンドンオリンピックが盛り上がっている。



厳しい戦いを強いられている日本勢の中で体操では内村の金メダルに沸き、なでしこジャパンの決勝進出で大興奮し、男子サッカーは準決勝でメキシコに敗れはしたものの韓国との3位決定戦に再び気合いが入り始めている。



オリンピックに「命を賭ける」というのはあくまで一生懸命さの表現の一つだと思っていたけれど、今回の一連の競技、試合を見ていて改めてその言葉は大袈裟ではなく、100%本気なのだということを理解した。過去に交わしたオリンピック選手との会話を思い出すことによって。



金メダルと引き換えに命を差し出してもよいほどの思いで彼ら彼女たちは戦っている。



我々にできることは精一杯、心の全てを使って応援することだけである。



そして、どんな結果であろうとも温かく受け入れることである。