クリティカルシンキング

クリティカルシンキングは「批判的思考」と訳されることが多い。



昨日のブログの最後で日本再生のための重点項目が日本人の「批判的思考」を鍛えることかもしれないと締め括った。
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20121029



日本では、「批判的」であることが「批判的に」捉われることが多い。



この場合の「批判的」とは「否定的」を意味し、集団主義や儒教の影響が残っている国では文化の一部として受け入れられ難い背景がある。



それがある種の自然主義や楽天主義、権威主義と結びつき、「お上を疑わない」「年長者には逆らわない」「長いものには巻かれろ」的な考え方と行動として染みついてしまった結果、この国の体たらくとなっているのではないか(もちろん仮説の一つとして)。



もしも福島原発事故の後、政府や東電の発表を「批判的に」捉え、行動する人が多かったとしたら?
もしもバブル破綻後の過度な財政出動を「批判的に」捉え、反対する人が多かったとしたら?
もしもばらまき政策満載の民主党マニフェストを「批判的に」捉え、未来を現実的に考えられる人が多かったとしたら?



日本国政府だけでなく、新聞やテレビに代表されるマスコミ報道でさえも「お上」からの情報として鵜呑みにする人間のなんと多いことか。



自分の頭で考えることなしに、権威を持った人や組織の意見をあたかも自分の意見としている人が。



誰かの作った正答を覚えたり、他の誰かに同調することに価値が認められた時代は20世紀と共に過ぎ去った。



正答のない時代に突入した我々に必要なものは「自分の頭で考える」ことであり、「論理的思考」であり、そのために現状を疑うことから始める「批判的思考」が求められている。



もしも新聞記事が本当のことを語っていないとしたら?
もしも教科書に書かれていることが一面的なものでしかなかったとしたら?
もしもこのブログに書かれていることが何の事実にも立脚していないものであれば?



論理的思考を身につけるための訓練としての「批判的思考」であるならば、待ったのきかないこの国で受け入れられ、拡がっていく可能性も開けるのではないか。



一つの仮説として、



批判的思考の練習問題としていただきたい。