人が持っている感情量には多い少ないがあるらしい。
それを初めて意識したのは司馬遼太郎の「翔ぶが如く」だったか。西郷隆盛は生来感情量が多く、感激屋としてもよく知られていたという。
感情量が豊かであるということは単純に情緒豊か、センシティブ(=敏感)ということではない。
共感力が高いということでもない。
他人の心の動きに敏感な人はいるし、そういった人が気が利く人、心遣いのできる人になる可能性が高いことに疑いの余地はない。
しかし、ここでは他人の心を察知するセンサーではなく、そのセンサーが反応した後の行動を大きく左右する感情量というものについて考えてみたい。
感情とは、言うまでもなく喜びや悲しみ、怒りや苦しみ、幸福感や絶望感、期待や失望、恐れや愛しさといった心の状態を指す。
この量が多い、少ないというのは同じ状況に置かれても喜びや幸せ感、苦しみや悲しみの感じ方が異なるということ。
善し悪しではなく、単純に感情量が多い人は人よりも喜びや幸福感、期待や愛しさを多く感じられるし、逆に怒りや苦しみ、恐れや絶望感もより大きく感じてしまう。
人間は感情の生き物
そんな表現もあるくらい我々の行動は感情に支配されている。その量が多くなればなるほど理性を飲み込み、明暗分けず行動に結びつきやすくなる。それはあたかもジェットコースターに乗っているような人生かもしれない。
もう一つ、
人は論理では動かない。感情で動く。
という言葉もある。
論理は頭には効いても心には効果がない。
他人を魅了し、他人を動かすことができるのは感情であり、人間が人間に魅力を感じるのも感情の動きと言っていい。
感情量の多い人の人生は豊かであり、危険でもある。
身の回りに感情量の多い人がいれば、
憧れていいし、時には近寄ってじっと観察してみてもいい。
でも、くれぐれも
火傷にだけは気をつけたい。