世界に一つだけの器

先日からエネルギーとエネルギー保有量、そしてそれを一時的に貯える器について考えている。



エネルギー保有量
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130702
エナジードリンクの効能
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130703



3日前のブログの終わりはこう締め括った。



あとは器の質がどれだけしっかりしているかにかかっている。

大きな器とその質
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130704



一昨日前の最後はこう。



様々な形や色の器があって、料理に合わせて選ばれる。

器の大きさはあくまでスペックの一つ過ぎない。

自分の器の大きさについて考えるのは自由だけれど、サイズが小さいからといって嘆く必要はない。

器のサイズ
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130705



改めて考えてみたい。



人の器は何でできているのだろう?



土器があれば、鉄器もあって、青銅製やプラスティック製もある。金や銀でできた豪華な器もあれば、金メッキ、銀メッキということもあるだろう。



簡単に壊れるものもあれば、ちょっとやそっとでは壊れないものもある。



壊れるからこそ一から作り直しができるものもあれば、なかなか壊れず逆に困ることもある。



ふと気がついた。



器の大きさに良し悪しをつけることが無意味なように器の素材を判別することにも何の意味もないことに。



大きさも色も形も、そしてその素材もただそうであるというだけ。



その組み合わせは世界で一つしかない。



そう。



我々は一人ひとりが持っている「世界に一つだけの器」をもっと誇りに思うべきなのだ。