時代が求める主体性

昨日のブログで日本人の多くは「主体性」という言葉を聞いてもピンとくる人が少なく、その理由に相対性が常に意識される社会だからと書いた。



もう一つの相対性理論
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130928



その理論も時代の流れとともに色褪せつつあり、「新しい仮説」に取って代わられようとしていると指摘した。



その理由は、世界が急速に小さくなっていく過程で欧米の価値観がこの国にも広がり始めたから。



「主体性」もその一つ。



相対性の反意語として使ったけれど、主体性を語る時、よりイメージしやすいのは「受動性」や「受け身の姿勢」であろう。



主体性を持つ、主体的である、というのは周りに関係なく、自ら考え、動くこと。周りから影響を受けてから動くのではなく、自分が先に動くこと。



誤解を恐れずに言えば、自分中心に動くこと。



そして、自分中心に動くことが許されるためには自分中心が客観的に見て自分勝手になっていてはいけない。



相対性の中で生まれるのは調和や規律や秩序。



恐らく、時代が新たなものを望んでいるからであろう、



今の社会が求めているものは、相対性やそこから生まれるものよりも、一人ひとりが持っている主体性であり、そこから生まれる独自性や革新性ではないか。



それが「新しい仮説」であり、この国が新しいステージに上がるために必要としていること。



そんな気がしてならない。