教訓を次世代へ

 あれから19年が経った。

 

毎年この日には自分の想いを綴ってきたけれど、ふと社会の動きも定点観測すべきではないかと思い当たった。勝手ながら幾つかの新聞記事を抜粋させていただこう。

 

http://www.asahi.com/articles/ASG1B5V5XG1BPTIL01Z.html

  

教訓を次世代へ 阪神大震災から19年、各地で追悼

2014年1月17日11時43分

 阪神大震災が起きてから19年となった17日、各地で被災者らが追悼の祈りを捧げた。街の復興は進んだ一方、震災を知る人たちの高齢化に伴う「記憶の風化」への懸念が広がる。20年目に向けて教訓をどう語り継ぎ、次の災害に備えるかが問われている。

 神戸市の東遊園地では、午前5時から「1・17のつどい」が開かれた。園内のガス灯「希望の灯(あか)り」の火が「1・17」の形に並べられた約1万本の竹灯籠(どうろう)に移され、被災者や市民らが地震が起きた時刻に合わせて黙禱(もくとう)した。希望の灯り東日本大震災被災した岩手、宮城、福島県内の計5カ所にも分灯されており、東北の地でも早朝に追悼の集いがあった。

 東遊園地では、震災で父を亡くし、全国の災害慰霊碑を巡ってきた上西勇さん(86)=神戸市東灘区=が遺族代表として「一基一基の慰霊碑から、『私たちと同じような目に遭わないでください』と語りかけてくるようでした」と述べ、震災の教訓を伝えていくことの大切さを訴えた。

 

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1604H_X10C14A1MM0000/

阪神大震災19年、各地で祈り 政府も防災訓練 

 

2014/1/17 11:18
阪神大震災の追悼集会で東遊園地に浮かび上がった「1・17」の文字(17日午前、神戸市中央区)
阪神大震災の追悼集会で東遊園地に浮かび上がった「1・17」の文字(17日午前、神戸市中央区)

 

 

 

 

 

 6434人が亡くなった阪神大震災は17日、発生から19年を迎えた。兵庫県を中心に各地で犠牲者の冥福を祈る追悼行事が営まれ、遺族や被災者のほか東日本大震災被災者らも参加した。

 神戸市中央区の東遊園地では同市などによる「1.17のつどい」が開かれ、約5千人が集まった。父親(当時95)を亡くした上西勇さん(86)=神戸市東灘区=は「亡くなられた多くの方々も父と同じくそれぞれ大きな夢、小さな夢を抱きながら旅立たれたのだろう」とあいさつした。

 政府も同日、首都直下地震を想定した防災訓練を実施。安倍晋三首相と閣僚らが徒歩で首相官邸に集まった。安倍首相は東京・永田町の自民党本部から、古屋圭司防災担当相は赤坂の議員宿舎から出発。各省庁の緊急時対応職員1万1千人も自宅などから歩いて職場に向かった。

 訓練は午前8時半、都心南部を震源とするマグニチュード(M)7.3の地震が発生し、都区部の多くを震度6強以上の揺れが襲ったと仮定。訓練後、安倍首相は記者団に「危機管理も全力を尽くして対応していきたい」と述べた。

  

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1700W_X10C14A1CC0000/

「神戸と東北の心を一つに」 阪神大震災19年で交流 

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2014/1/17 14:00

 6434人が犠牲になった阪神大震災被災地は17日、発生から19年を迎え、家族や友を失った遺族らは改めてかけがえのない人々の死を悼んだ。「神戸と東北の心を一つに」――。東日本大震災被災地でも黙とうがささげられ、神戸では2つの被災地の絆を示す手形の「一本桜」が満開の花を咲かせた。

神戸の中学生と一緒にピンクの手形で桜の木を描いた大船渡中学校の森田さんと及川さん(左から2人、3人目)=17日午前、神戸市中央区
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神戸の中学生と一緒にピンクの手形で桜の木を描いた大船渡中学校の森田さんと及川さん(左から2人、3人目)=17日午前、神戸市中央区

 「生かされた命で一生懸命生きることを誓いましょう。神戸と東北の心が一つになるように思いを込めましょう」

 神戸・三宮の東遊園地の一角のテント。神戸市で絵画教室を開く中嶋洋子さん(61)の声が響いた。テントの幕に描かれた太い桜の木の幹に、子供たちはピンクの絵の具で塗りたくった手のひらを押しつけ、手形の「桜」で満ちあふれた。中嶋さんが子供たちと取り組む命の尊さを願い桜の木を描く「命の一本桜プロジェクト」だ。

 その輪の中に東日本大震災による津波で家を失った岩手県大船渡市立大船渡中学1年の及川真子さん(13)と同中学2年の森田礼子さん(14)の姿があった。ともに同中学の校庭にある仮設住宅で暮らす毎日で、市内にはいまだがれきが残る。「大船渡が元に戻るまでの道のりは長いけど一歩一歩前に進もう」。2人は復興への思いを込め、桜を咲かせた。

 阪神大震災で教え子2人を亡くし教室も全壊した中嶋さん。東日本大震災発生後、「東北に春を届けよう」と神戸の子供たちと描いた桜の絵約1千枚を宮城県岩手県の小中学校に送った。その後も東北の仮設住宅や小中学校を訪れ、絵を通じた心のケアに取り組んできた。

及川さんと森田さんと出会ったのは2011年4月に避難所だった大船渡中を訪れたとき。ともにこいのぼりの絵を描き、その際に神戸で描いた桜の絵も届けた。中嶋さんの元に届いた手紙には「(避難所の)体育館に春がきました。消えない春をありがとうございます」(森田さん)とお礼がつづられていた。

 その後も文通などを通じて交流を深めた中嶋さんは2人に立ち直った神戸の街を見てもらい復興への希望を抱いてもらおうと今回「1.17のつどい」に招いた。

 2人の訪問は神戸の子供たちの心にも響いた様子。神戸市の中学1年、坪内寿音さん(13)は「神戸と東北はつながっているんだなと感じた。たくさんの手形が重なると満開の桜のよう。みんなで作り上げたんだなと思う」と言い、誇らしげに桜の絵を見上げた。

 一緒に桜を描いた神戸市の中学3年、田村政宗君(15)は初めてつどいに参加。「東北では年が近い人でも大きな災害を経験し大変な思いをしている。何気なく過ごす毎日がかけがえのないものだと感じた」と振り返った。

 2人は18日まで滞在し、神戸の街並みを見学する。及川さんは「友人には阪神大震災のことを知らない人も多い。『神戸は立派に立ち直ったんだよ』と大船渡に戻ったら伝えたい」と話す。森田さんは「復興への強い意志が今の神戸を築いたのだと思った。私たちの世代ができることを考えていきたい」と誓った。以上