思い通りに生きる


昨日のブログの最後をこう締め括った。


何を見たいのか、何を聞きたいのか、何を感じたいのか、


どう生きたいのか、


全ては自分が何を望んでいるかにかかっているのではないか。(http://norio373.hatenablog.com/entry/2014/06/28/


それは一言で表すと「思い通りに生きる」ということ。


これまでにたくさんの自己啓発書を読んできたし、中にはバイブルとして何度も何度も読み直したり他人に勧めたりしてきたものもある。


それでも「思い通りに生きる」なんてできるはずがないと思っていたし、思い通りにならないからこそ生きる価値があるとさえ思ってきた。


それでもある程度の年月を生きてきて、様々な経験を経て、不思議な感覚が心の中に生まれ、育っていることも認めないわけにはいかない。


「思い通りに」という言葉が適切かどうかはわからないけれど、ある程度は自分が望むような人生を歩んでいるのではないかということ。(意識上、意識下は別にして)


自分の意志を持ち、勇気を振り絞り先へ行くことを選んだ時は不思議なほど道が拓かれた。躊躇ったり、怖くて足がすくんだ時は道が閉ざされ、機会は失われた。


その時その時の考え方や心の持ち様、心の有り様がその時々に相応しい出来事(苦難も喜びも)や人を引き寄せてきたと感じてきた。


自分がダメだと思えばダメになり、まだ行けると思えばまだ行ける、限界を決めればそこが限界になり、もっと上を目指せば上に行ける。(少なくともその瞬間よりは上に上がれる)


意識的、潜在的の違いがあったとしても「思い通りに生きる」ことがこの世界のシステムなのであれば、それを信じて自分の「思い通り」を自分が本当に望むことにすることにもっと注力しなければと思った。


自分の意識こそが世界を作るのだから。