つくりての気持ち

 
 
何かを享受するだけでなく作り手の気持ちになってみること、そこに想いを馳せること。
 
 

そのことを初めて感じたのは大学時代。大好きな映画館で大好きな映画を観ていた時だった。
 
 

ちょっとした演劇を演出していた時期で自分でも演ずる機会があり、それまで単なるエンターテイメントだった映画が突然教科書になった感覚だった。それ以来映画を観るときは「監督」の視点で観るようになり、映画自体を楽しめなくなった。
 
 

「楽しめなくなった」は誤解を招くかもしれない。一観客として純粋に娯楽としての映画は楽しむことはできなくなったけれど、作り手の気持ちになることでより突っ込んだ、奥行きのある、立体的な楽しみ方ができるようになった。
 
 
そんな「つくりての視点」でモノを見て、「つくりての気持ち」に想いを馳せることで世の中が少しだけよく見えるようになった気がする。
 
 
映画や小説だけでなく、日常生活の中で当たり前のように享受しているモノやサービスも何処かの誰かによってつくられている。そのつくりての立場に立ってみる。その気持ちになってみる。
 
 
そうすることで感嘆の気持ちが湧き、
 
 
感謝の想いが生まれ、


じわりと広がっていく