知行合一

 
 
先日のブログで人の興味、関心がどこに向いているのか、どれほど深いのかがその人の成熟度を測る指標になり得ると書いた。(成熟の証明成熟の深度
 
 
その最後に興味や関心が外側の世界に向いているだけでなく、行動にまで繋がっているかが大事であり、そのためにはどれだけ深く理解し、共感しているかが問われると締め括った。
 
 
それがまさに「知行合一」であり、明治維新の原動力となった吉田松陰の信念。
 
 
改めて調べてみたくなった。
 
 
ウィキペディアによるとこう説明されている。

知行合一 - Wikipedia

 
 

知行合一(ちこうごういつ)は、中国のときに、王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつ。

知(知ること)と行(行うこと)は同じ心の良知(人間に先天的に備わっている善悪是非の判断能力)から発する作用であり、分離不可能であるとする考え。論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」が元になっている。

 

王陽明は、知って行わないのは、未だ知らないことと同じであることを主張し、実践重視の教えを主張した。朱熹の学(朱子学)が万物の理を極めてから実践に向かう「知先行後」であることを批判して主張した。

江戸時代初期の陽明学者である中江藤樹や幕末の頃の陽明学者や維新の志士たちに大きな影響を与えた。

知行合一は「知は行の始なり、行は知の成るなり(知ることは行為の始めであり、行為は知ることの完成である)」「行動を伴わない知識は未完成である」とも言い表される[1]

 

単純に言うと「知っているだけで行動が伴わないのであれば、知らないことと同じ。知ったこと、学んだことを行動に移すことにこそ意味がある」ということ。

 

時代が流れても変わらないことがある。

 

我々も知っているだけで満足していないだろうか。

 

インターネットで検索してわかったつもりになっていないだろうか。

 

改めて「知行合一」を唱えて事に当たりたいと思った。