妥協と我慢の違い

 
ある人と口論になった。
 
 
妥協と我慢の違いについて。
 
 
その人は妥協はいいけれど、我慢はいけないと言う。
 
 
こちらは我慢はいいけど、妥協はしてはいけないと主張する。
 
 
その人曰く、妥協は合意のために必要なかけひき。トレードオフを巧く使って自分を納得させるだけでなく、有利になるものを引き出すことができるテクニック。逆に、我慢はどこへも行かない。ただただ我慢するだけで何も生まれない。抑圧に屈するだけだから駄目とのこと。
 
 
筆者曰く、我慢は何かを得るために必要なステップの一つ。何かを我慢することでいつかは欲しいモノが手に入る、そのための努力の一環。妥協は諦めと同義語。妥協することで(自分の)可能性を否定し、小さな存在であることを認めてしまう。その行為。
 
 
口論では埒が明かず、言葉の定義、理解の違いに話題と興味が行き、ネットで調べてみることになった。
  
      • 妥協(だきょう、英語 compromise)とは、何かの物事を進めるにあたって、関係する双方の意見が食い違い、そのままではそれ以上の進展が望めそうもないときに、いずれか一方が自身の意見を取り下げたり、あるいは双方が互いに相手の意見を一部容認して、歩み寄りして、問題の打開を図ること。 本当は不本意なことではあるが、窮地を打開するために、自分の主義主張を取り下げ、相手に一歩譲ること。

       

 
これはほぼ予想通りで互いに納得のいく定義と言える。
  
    • 我慢がまんとは、仏教の煩悩の一つ。 強い自己意識から起こす慢心のこと。 四慢(増上・卑下・我・邪)の1つ、また七慢(慢・過・慢過・我・増上・卑劣・邪)の1つ。 仏教では人間を固定的な実体として捉え、自己に執着(しゅうじゃく)することを我執(がしゅう)いい、その我執から、自分を高く見て他人を軽視する心をいった。

     

     

    おっと、これは予想外の難しい説明。三省堂大辞林によるともう少し現実的な説明、用法が載っていた。

     

    感情欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶこと。辛抱すること。 「空腹を-する」 「 -に-を重ねる」 「もはや-がならない

     

     

結果、今回の勝負は相手方にあったと言わざるを得ない。
 
 
それもまた妥協の一つかと。
 
 
自分が普段使っている言葉、思い込んでいる表現の意味や使い方が必ずしも正しいとは限らない。
 
 
その全てを棚卸しし、精査することは不可能だけれど、機会があるごとに確認作業はしたい、しなければならないと思った。
 
 
それもまた自分のしたいこと、なりたい姿への道のり(=我慢の一つ)だと信じて。