大切にするとは

 
○○を大切にする。○○を大切にしよう。
 
 
よく耳にするし、自分でも口にする。
 
 
でも、いつの頃からか心の中にもやもやが広がっていた。
 
 
改めて考えてみたいと思う。
 
 
「大切にする」とはどういうことだろう?
具体的に何をすることなのだろう?
 
 
辞書によると「大切」はこう定義されている。
 
もっとも必要であり、重んじられるさま。重要であるさま。「―な条件」「―な書類」
丁寧に扱って、大事にするさま。「本を―にする」「命を―にする」
急を要するさま。
「―なる事有りて、夜を昼にて上れば」〈今昔・一六・二〇〉
[派生]たいせつさ[名]
[用法]大切・[用法]大事――「大切な(大事な)会議」「大切に(大事に)している着物」のように、必要で重んずべきさまの意では相通じて用いられる。◇また、「水を大切(大事)に使う」「友情を大切(大事)にする」のように、かけがえのないものとして心を配り、丁寧に扱うさまの意の場合も両語とも使える。◇「おからだを大切に」「どうぞ、お大事に」などは、ともに日常語ではあるが、「大事」のほうがよりくだけた感じがある。◇「任務の大切さを知る」などでは、「大切」が優勢である。◇「大事」には、根本的な事柄の意もある。「国家の大事」「大事を決行する」◇類似の語の「重要」は、物事・事柄の根本・中心にかかわって重んずべきであるさまを表し、「大切」「大事」よりも文章語的である。「歴史上重要な事件」「重要参考人

 

 

もちろん理解はできるけれど、「ふーん」の域を出ることはない。(あくまで個人的な意見。大事にする、丁寧に扱う、って具体的にどうすること?となるからだと思う)

 

自分なりの定義はできないか、自分が納得できる表現は見つけられないか、

  
そう思って心の中をぐるぐる巡ってみる。
 
 
心の底に下りていく。
 
 
 ふと、気づく。
 
 
「大切にする」ということは「意識を向けること」ではないか。
 
 
誰かを大切にする、何かを大切にするためにはまずその対象に「意識を向けること」が必要。
 
 
世の中にはありとあらゆるものがあり、常に興味や意識の向かう先は移ろい消えていく。
 
 
「大切にする」
 
 
というのは、この世の中に溢れている様々なものの中から特定のものに「意識を向けること」、
 
 
「思いを寄せること」「考えること」
 
 
そして、
 
 
「時間をかけること」
 
 
と言えるのではないか。
 
 

あ、心の中のもやもやが晴れてきた気がする。(あくまで個人的な意見だけれど)