志賀直哉の短編小説集を手に取った。
おもむろに文庫本を開き、何本もの短編の中から「城の崎にて」を探す。
始まりのページからゆっくりと1文字ずつ、1行ずつ丁寧に読んでいく。
時代は大正初期、
作者は東京の山手線で電車にはねられ(!)、その怪我の療養で兵庫県にある城崎温泉に滞在している。
ゆったりとした時間の流れの中で作者はハチとネズミとイモリのそれぞれの死を連続で目の当たりにすることで「死」について考える。
自分の「生」と対比しようとするが、ふと「生」と「死」は対極にあるのではないという想いが浮かぶ。
生きるということ、死ぬということ、
それらは両極ではなく、
一つのこと。
コインの裏表のような関係かもしれないし、量子論で説明されるように「生であり死である」ということかもしれない。
そこに明確な答えはないけれど、作者は自分が「とりあえず」生きていることに感慨の念を持つ。
小説はそこで終わる。
文庫本を閉じた瞬間から今度は現実の「生」と「死」について自然と想いが流れる。
これまで出逢ってきた人たちの「死」と自分を含めたこの瞬間の「生」について。
「死」という喪失からくる悲しさと生きていることの儚さや哀しさについて。
今生きていることに、
死の世界に
想いを馳せる。