コンプライアンスのジレンマ

 
 
おかしな夢を見た。
 
 
高名なお坊さんに付いてお寺の秘伝とされている料理を一緒に作ることになる。
 
 
その料理がどんなものかはよく覚えていないけれど(おかし? 豆腐料理? クッキーのようなもの??)、その料理の隠し味であり、秘伝とされているもののエッセンスがなんとお坊さんの鼻くそということが判明する(ごめんなさい!)。
 
 
高名なお坊さんのもの(?)だけに価値があるのか、昔ゆえに調味料に限りがあるからなのか(!?)、そのお坊さんは当然のように自分の鼻を穿り、粉状の鼻くそを小皿に取り分ける(本当にごめんなさい!!)。
 
 
私は夢の中で葛藤する。
 
 
これをこのまま入れるべきなのか、それとも正義の名の下に(?)停めるべきなのか、或いはこっそり入れたことにして捨てるのか・・・
 
 
思いはめぐる。
 
 
これを入れなければ食べる人はハッピーなはず。でももしかすると秘伝の味にはならないかも。お坊さんの効力がないと料理は普通の味になる??? かと言って、道徳的にこれを許してよいのか? 昔と今では価値観と清潔感と人々の胃袋事情も違うはず・・・
 
 
夢の中の私は結局それをこっそり捨てることを決心する。
 
 
そのことにちょっとした満足感と誇りのかけらを感じつつも一抹の不安を消し去ることはできない。
 
 
その料理を披露するのは、なぜか生放送の料理番組(以前見た韓国ドラマの影響?!)。
 
 
視聴者や報道関係者が大勢居並ぶ前でその料理が並べられ、試食されることになる。


その瞬間・・・
 
 
 
 
 
目が覚めた。
 
 
コンプライアンス(法令順守)が叫ばれて久しい。
 
 
東芝の会計処理の問題はコーポレートガバナンス企業統治)のあり方が見直されることになる引き金になるだろうけれど、そこで働く一人ひとりのコンプライアンス(法令順守)の問題も同様に問われるべきではないか。
 
 
今回の夢は「法令」とは関係ないし、「遵守」する必要もない類のものだけれど、もし自分が現実の世界でコンプライアンス(法令順守)が問われる立場にあればどうするだろうか、と考えるきっかけになった。
 
 
コンプライアンスのジレンマ」に陥った時にも頭で考えるのではなく、心の銘ずるままに行動したい。(計算打算誤算