昨日のブログで「昔はよかった」をきっかけにテレビもインターネットもない世界について考えた。(昔という時代)
当たり前のようになっている文明の利器や刺激溢れる情報の波に乗ることを楽しむ反面費やされる時間とエネルギーの膨大さを嘆き、
それがなければ身の回りの大切なモノやヒト、自然にもっと目が向き、その結果より実のある生活がおくれるようになるのではないか、感謝の気持ちに溢れる日々になるのではないか、そう書いた。
しかし、テレビやインターネットをはじめとした文明の利器にも当然功罪の両方があり、そのうち罪の部分のみを拡大し、論ずるのはフェアではない。
実際、テレビやインターネットやスマートフォンのおかげで人生が変わった、素晴らしいものになったという人が多いからこそ世の中は進化を続けているのだ。
「昔はよかった」
そういう人は多いけれど、テレビもインターネットもスマホもない世界に本当に戻りたいだろうか。戻れるだろうか。
今我々が生きている社会は、数百年前、数千年前の人類が夢見たユートピアの世界。
人類が積み上げてきた知見と血と涙の結晶である文明の利器を全て捨て去り、昔に帰る必要はどこにもない。
テレビもインターネットもスマホも使いつつも風や雲や花や木を愛で、雨や土や水や山や海にじっと心を傾けることだってできるはず。
むしろ、衣食住にかける時間と手間を省くために開発された機器たちを諦めることはおかしな話。
要は、文明の利器を我々がどう使いこなすかなのだ。
それらの奴隷になるのではなく。
ユートピアの奴隷たちを解放すればよい。
まずは自分から始めよう。