遠慮という罠

 

「遠慮」は日本人の美徳の一つと言っていい。

 

遠いところで行う配慮のこと。

 

自分よりも相手や周りの人を優先して考えた結果としての行動のはずだけれど、時にそれが弱さの表れであったりもする。

 

全体を最優先で考え、自分よりも他人を優先するということ自体は美しいこと。

 

讃えられるべきこと。

 

それでもそこに弱さが見え隠れするのなら話は別。

 

或いは、自己不満足があるのなら。

 

 

遠い昔のこと。

 

筆者が小学生だった頃の話。

 

お金持ちの友人が大きな大きなクワガタを持った手を高く掲げて「このクワガタ欲しい人?」と叫んだ。

 

自分の中に「欲しい!」という想いが一瞬で充満したけれど、我慢した。

 

遠慮した。

 

すると、「俺欲しい!」と誰かが言った。

 

それはそのお金持ちの友人よりも更にお金持ちと思われる家の子どもだった。

 

当然のようにクワガタ虫はその子に譲られることになった。

 

後悔先に立たず・・・

 

「遠慮なんてしない!」

 

小学生の頃の誓いはその後もことあるごとに守られてはきたけれど、

 

長い年月を経て、

 

大人になって、

 

時に、

 

遠慮という罠に落ちてしまう。

 

それが弱さや不満足からくるものなのであれば、

 

もう一度あの時のことを思い出して、

 

遠慮なんて吹き飛ばしてしまえばいい。