見えない蜘蛛の巣に雁字搦め(がんじがらめ)にされているとしたら・・・
この国、日本に住むというのはそういうことかもしれない・・・そんなことを改めて感じた。
随分以前にアメリカに住んでいた時に感じたことの一つに「圧倒的な自由」がある。
良くも悪くもアメリカは自由であり、夢のような成功を手にする自由(チャンス)がある。その反面、失敗してどん底まで落ちる自由(リスク)もある。
逆に日本にいると、同じ民族が同じ文化や歴史を長年共有してきたからこそできる「以心伝心」や「他人の気持ちを慮る」大切さが尊重され、重宝される。それは美徳であり、世界に誇るべきことである一方、長年培われてきた文化の中で育まれてきた常識やしきたりという「あるべき姿」があってこそできること。暗黙の了解や目に見えない空気を読むというような表現はある意味家族だからできること。
家族ゆえの安心感と近い距離感がもたらす幸福感が日本の良さであり、強みである一方、家族であり、距離が近いことで息が詰まるような、雁字搦めになっているかのような感覚に捕らわれることがある。
どちらが良い悪いという話ではなく、それぞれの文化や歴史が培ってきた価値観が作り出した社会の構造の一側面。
雁字搦めになっていると息苦しさだけを感じて、ないものねだりをしたくなるけれど、
見えない蜘蛛の巣がセーフティネットの役割を果たしていることも忘れてはいけない。
そんな風に思った。