「やばい」
は本来、危ない、危険や悪いことが起きそうな時に使う言葉。
それが最近では良いこと、凄いことを形容する時に使われるようになっている。
全く正反対の使われ方だ。
改めて考えてみると、「テキトー」も本当は「適当」「適切」であるはずなのに、逆の意味で使われることが多い。「いいかげん」も同じ。本当は「いい(良い)加減」にも係らず、どうでもいい、ふざけている、本気で取り組んでいない・・・のように逆の意味で使われる。
言葉は生き物であり、状況や時代の表れである証拠。
「見れる」「出れる」「食べれる」といったいわゆる「ら抜き言葉」の方が「見られる」「出られる」「食べられる」よりも自然に感じる人の方が上回ったというニュースが流れたばかり。
時代は移ろい、人も変わる。
言葉も変わり、評価も変わっていく。
祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり・・・
そう考えると、
にもかかわらず、
と言うべきか、
人の感情や本質は平安時代から何も変わっていないと言えるのではないだろうか。
やばっ!