嫌いな言葉

 

嫌いなものって尋ねられてもすぐには何も浮かばない。

 

嫌いな人、嫌いな場所、嫌いなことも同じ。

 

苦手と感じるものはあっても「嫌い」という言葉や観念が強いて言うと嫌いだった。

 

その理由を改めて考えると、行き着くところは自分だと気づく。

 

嫌うという否定的な動作をすることで可能性を壊してしまう。嫌いというレッテルを貼ることで他の側面を視ようとしなくなるのが嫌だった。

 

そう思っていた。

 

もちろん今もそう感じていることに偽りはない。

 

それでも行き着くところが自分だと気づいたのは、「嫌う」という動作の反作用としての「嫌われる」が怖かったから。それに気づいたから。

 

もちろん嫌われることで失うものはある。

 

しかし、誰にも嫌われないのはある意味何もしていないから。意味ある大切なことをしていない証拠。

 

「嫌われる勇気」を持つことでメッセージがクリアになる。意味のある大切なことができる。

 

嫌いな言葉を思い出した。

 

「諦める」

 

だ。

 

「もう諦めてるから・・・」

 

その一言にショックを受けた。と同時に猛烈な怒りに囚われる。

 

反作用としての「諦める」から諦められてもいい。

 

「諦める」を締め出したいと思った。