構造的転換期

 

社会全体、いや、歴史的、文化的とも言っていい大きな構造転換期に差し掛かっているのかもしれない。

 

他でもない日本人の働き方や働くことに対しての考え方がである。

 

日本人の真面目さや働き過ぎは昔から世界中で称賛されるとともに問題視されてきた。

 

働きアリと揶揄される中、世界中にはびこるキリギリスを尻目に貪欲に強引に働き続けてきた。

 

その基盤となっていた個人よりも組織や全体を優先する和の精神とその構造が変わり始めている。

 

これまで多くの日本人にとって働くことは当たり前であり、美徳であった。

 

個人や個人の延長と言える家族を犠牲にしても組織や全体のために働くことは当たり前であり、社会的にも文化的にも歴史的にも民衆が労働することを求められ、それを乱そうとする力は非難され、排除されてきた。(芸能界では未だその傾向が強く残っているのは最近のプロダクション問題でご存知の通り)

 

そんな日本人の精神構造が急激に変化しつつある。そんな風に強く感じる今日この頃である。

 

政府の「働き方改革」や「プレミアムフライデー」がその原動力・・・

 

というわけはない。

 

これもまた世界的な歴史的に進行しつつある革命の影響に他ならない。

 

そう。産業革命の次の情報革命という大河の流れのせい。IT、ICTの進化とグローバリゼーションによって働き方もまた世界的な潮流となり、大海に流れ込もうとしている。

 

労働についての考え方や生き方自体までが世界全体で均一化される方向に向かっていると言っていい。

 

均一化は透明性を担保し、その結果、公平性を高めるであろうし、人類が長年求めてきた労働からの解放、社会的な自由、個人の自己実現への集中への道を切り開くことになる(可能性が高まる)。

 

但し、そこに

 

失われるものがあることも我々は忘れてはならない。

 

我々はもう引き返せない地点を通り過ぎたのだ。