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この橋 馬は渡るべからず

 

昨日の日曜日に小学4年生と一緒に参加した親子法律教室は興味深いものになった。

 

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ワークショップ形式で行われた勉強会は、紙芝居形式で物語が語られ、その状況で自分はどう感じるか、どうするか、といういわゆるケーススタディを行なった。

 

その内容はこうだ。

 

昔々ある村がありました。

その村には一本の川が流れていて、反対側に渡るには一本しからない橋を渡るしかありませんでした。

ある日、村で尊敬されている村長さんが橋のたもとに立て札を立てました。そこにはこう書かれてありました。

「この橋 馬は渡るべからず」

それまで渡れていた馬が渡れなくなると反対側に行くには半日かけて大回りしなければなりません。困った村人たちは村長さんに相談しに行きました。

 

屋敷に着くと村長さんの奥さんが出てきて、なんと村長さんが亡くなったことを知らされます。悲しみに暮れながらも村人たちは自然に立て札のことについて話し始めました。

 

ここで司会の人がホワイトボードに貼られた馬と牛と子馬と人のイラストを指しながら子どもたちに質問を投げかける。

 

「皆さんは、馬、牛、子馬、人のうち、橋を通ってもいいのはどれだと思いますか? また、どうしてそう思いますか?」

 

色々な意見が出る中、一番多かったのは、立て札に書いてある通り「馬と子馬はダメで牛と人はいいんじゃないかな」というもの。

 

物語は更に続いていく。

 

次に村人たちはどうして村長さんがその決まりを作ったのか、その理由について考え始めます。

 

「馬は重いから橋が壊れる可能性が高まるからじゃないか?」

 

別の若い女性は言います。「馬はどこにでも糞をしたり、おしっこをしたりするから橋が汚れるからじゃない?」

 

また別の人は自信ありげに「馬は暴れることがあるし、一旦暴れ出したら一人では抑え切れなくて危険だからじゃないか?」と言いました。

 

それぞれの理由を聞いた上で子どもたちはもう一度各テーブルで意見を交わす。

 

馬が重いからと思った人は牛もダメだし、橋を汚すからという理由に賛成する人は、馬も牛も子馬もダメになる。馬は暴れるという理由だと馬以外は通行可である。

 

最初よりも意見の幅がぐっと広がる。

 

紙芝居は続いていく。

 

泣いている村長さんの奥さんを慰めようとすると、奥さんが話し出しました。

 

「違うんです。主人から私宛に手紙が残っていたんです。それを読んで困ってしまって・・・」

 

村人の一人が奥さんの許可を取ってから手紙を読み上げます。

 

「私の命はそう長くはない。私が死んでからもお前が生活に困らないように山の麓に茶店を作っておいた。馬が橋を渡れないと馬を連れた村人たちは大回りをするだろうからその茶店に寄るだろうし、その売上で生活をしていけるだろう」

 

「なんだそりゃ?!」

 

村人たちから驚きの声が上がりました。

 

他方で、これまで村人たちのことを考えて良いルールを作ってきた村長さんのことを考えるとこれもまた良いルールのはずという人たちもいます。

 

次のテーマは、立て札のルールは果たして良いルールなのか悪いルールなのか? その理由と合わせて子どもたちが自分の感じたことを話し合う。

 

奥さん想いの村長さんというイメージがあるからか、意外にも子どもたちは村長の決定は良いルールという声が多かったけれど、いずれにせよ自分の頭で考え、自分の意見を発表する機会は良いこと。

  

法の専門家が言っていたことが心にスッと入ってきた。

 

「唯一の正しい答えというものはないんです。世の中にあるルールも100%良いルール、悪いルールというようなことはなく、人々が住みやすい社会を作っていくためにルールや法律があるんです。それを皆さんと一緒に考えるきっかけを今日持てたことをたいへん嬉しく思います。」

 

ルールや法律にはその意図と背景が必ずある。

 

人も時代も移ろい変わることを考えると同じように見直しされて当たり前。

 

この国には法律のスクラップ&ビルドが必要だ。

 

そのためにも我々市民が知ること、動くことから始めなければならない。

 

あの村人たちのように。