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描写のトレーニング

 

テレビをつけるとグルメに関する企画、番組が溢れかえっている。

 

そこでは「食レポ」と呼ばれる食べ物をいただいた時の感想が語られ、その良し悪しが企画や番組の成否を左右する。

 

料理の見た目、匂い、口に入れた時の第一印象、テクスチャー(食感)、そして味(後味も含めて)をリアルに、視聴者が食べたいと切望するように魅力的に伝えることが求められる。

 

そこでは「言葉にする力」が重要な要素を持っていて、「描写のトレーニング」をしているかどうかで大きな差が開いてしまう。

 

こうした料理の評価以外にも「描写のトレーニング」には、身の回りにあるモノ、風景、人の身なり、街並み等、目に入るものは全てが対象になるし、目には見えないけれど感じられるもの(その場や人の雰囲気、人物像等)、予期できること、想像の産物だって表現することは可能だ。

 

自らの言葉で世界を再構築する。

 

それが「描写のトレーニング」の本質。

 

この話題のきっかけとなった「魔法がかかった言葉」で触れた村上春樹の新作「騎士団長殺し」の一節を紹介したい。(これもまた筋書きや物語のネタバレになるような箇所ではないのでご安心下さい)

 

インフィニティのテールランプが礼儀正しく、しずしずと夕闇の中に去っていって、あとには私ひとりが残された。今こうして正面から目にしている家屋は、私が予想していたよりずっとこぢんまりとして控えめに見えた。谷の向かい側から眺めていると、それはずいぶん威圧的で派手はでしい建築物に見えたのだが。たぶん見る角度によって印象が違ってくるのだろう。門の部分が山の一番高いところにあり、それから斜面を下るように、土地の傾斜角度をうまく利用して家が建てられた。

玄関の前には神社の狛犬のような古い石像が、左右対になって据えられていた。台座もついている。あるいは本物の狛犬をどこかから運んできたのかもしれない。玄関の前にもツツジの植え込みがあった。きっと、五月には、このあたり鮮やかな色合いのツツジの花でいっぱいになるのだろう。

 

目に見えるモノや風景はもちろんのこと、示唆や暗示という別次元の世界までも見事に描かれている。

 

更に未来までもが(あくまで季節という周期的かつ経験則からではあるが)。

 

さあ、我々もトレーニングを始めようではないか。

 

そう言えば、「言葉にできるは武器になる」という本がちょうど今ベストセラーになっている。

 

それも読んでみたい。

 

 

「言葉にできる」は武器になる。

「言葉にできる」は武器になる。