時間について考え続けている。
すると、こんなつぶやきに出合ったことを思い出した。
あまりにもドンピシャだったのでそのまま掲載させていただく。
皆さんへの参考にもなるかと。
昔、旅行中たまたま横に座った老夫婦と話していて…
「学生の時はお金が無くて、やりたい事は社会人なったらやろうと思った。
社会人になったらお金はあったけど時間が無くて定年後にやろうと思った。
そして今は時間はあるけど身体が動かない。
君は全部今やれ。」
深すぎる言葉でした。
昨日のブログの最後にこんなことを書いた。
我々が時間と思っているものは本当は我々自身が自ら創り出している想像の産物なのかもしれない。
人生とは、未来の記憶を手繰り寄せる作業なのだという気がした。
我々は人生を長い河に例えることがある。
時間という河の流れに乗って川上から川下に向けて人生という冒険をする。
そう思い込んでいる。
しかし、真実は逆かもしれない。
天動説から地動説に変わったのとは全く反対に本当は自分という存在があって、それは動かず、時間という概念をら創り出し、それを過去から現在、そして未来という順番に創造/想像し、流しているだけなのかもしれない。
そうすれば、
「過去はない、未来もない、あるのは永遠に続く今だけである」
という言葉が一層重みを持つことになる。(永遠に続く今 - おもしろきこともなき世をおもしろく)
冒頭の老夫婦が言うように、したいことは今全部するつもりで生きることがこの人生というシステムの裏技であり、真実なのかもしれない。