きちんとすることがどういうことなのかを再認識する機会が職場であった。
当たり前と言えば当たり前のこともスピードや効率を優先させるという大義名分だか言い訳だかをしつつサボっていたことをきちんと丁寧にしなければならなくなった。
振り返って考えると、個人的にもそういう時期なのかなと思い当たる。
普段の生活の当たり前の家事や何気ない動作、ドアを開ける、閉める、キャップの蓋を開ける、閉める、洗面所を綺麗に使う、後の人のために片付ける・・・
そんな普通のことからきちんとすることを意識する。
実際に心と体を使ってきちんとする。
すると、意外なほど些細なことが楽しく、愛おしく感じられるようになる。
きちんとした生活ができるようになる。
その積み重ねが楽しく、意味ある、価値ある、愛おしく感じられる人生になるのだと直感した。
きちんとする先を夢見て、
きちんとしよう。
きちんとする。