フラットな島が出現し、そこでは島の住民は全員対等であり、組織すらも同じであると昨日のブログに書いた。(フラットな島)
その最後には島民が試されていると。
その島はどこか知らない南の島ではなく、前近代的な原住民の住む島でもなく、ガラパゴスと揶揄されるこの国日本のこと。
フラット化する社会はフリードマンを繙かずとも肌感覚で誰もが感じているところ。
旧態然の組織では年功序列の名残りで年を経るだけで役職や給与が上がったり、尊敬語で話されるのが当たり前かもしれないけれど、それは単に目上(年齢)が上というだけで、人としての価値を表すわけではない。
そんなことは改めて考えれば誰もが知っているはずなのに、役職が高いというだけであたかも人間の価値が決まってしまうかのような振る舞いをする人がいる。
情報をより多く持っている人が上の立場につき、権力を振りかざすのは世の常。
様々な情報がほぼコストゼロで手に入るようになった現代社会は権力者を権力者たらしめている要素を急激に減らし始めている。それがフラットな社会になりつつある一番の要因と言っていいのではないか。
情報が権力者から権力を奪い始めていて、
個人が情報を得ることで権力が拡散される世の中になりつつあるということ。
力を得るためにすべきことは何か。
それがわかれば自ずとすべきことが見えてくる。