叫び

 

昨日の東京散策では上野にある美術館で開催されているムンク展に行ってきた。

 

https://munch2018.jp

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同じタイミングで開かれているルーベンスフェルメール展も良かったけれど、どれか一つを選ぶとするならば、圧倒的に、ダントツにムンク展が良かった。

 

その理由を考えてみると、幾つか浮かび上がってくる。

 

1.彼ほど苦しみや悲しみに向き合う芸術家がいたであろうか

 

  代表作「叫び」はもとより、5歳の頃に母を亡くし、14歳の頃に愛する唯一の姉を亡くし、成人してからも父を亡くし、常に死の影や別れの苦しみに苛まれ、そこから逃げずに向き合い、それを表現しようとした芸術家が他にいただろうか。

 

2.彼ほどプロの画家としての意識を高く持った、覚悟を決めていた画家がいたであろうか

 

  死や別れという生きている限り避けられない出来事から目を逸らさず、その苦しみを絵という形に表現しようとする執念。情愛や性、嫉妬と言った人間らしさとその裏側の感情でさえからも逃げることなく表現しようとする覚悟。それらをマドンナ、接吻、吸血鬼といったわかりやすく、また論争を巻き起こすテーマに集約して集中して形にする力。それ以外にもテーマを決めて、連作し、個展で結び合う、共鳴し合う作品の並びを考えるプロフェッショナリズム。そして、アルコール中毒や目の病気を患っても、抽象画に走らずあくまで自分の目を信じ、見たものを描き続ける覚悟はすごいと思った。そんな女性との関係も清算し、芸術家たり続けるために最愛の人と別れ、一生独身を貫く決意もただただ凄い。

 

3.様々人生経験を経て、辿り着いたのが「祖国」であり、「自然」であり、「生きる」ということ

 

自画像がとにかく多いアーティストだが、あらゆることを経験し、最後に辿り着いたのは祖国であり、自然であり、生きるということであり、明るい色たちであった。

 

特に印象に残っているのは、黄色い丸太が森の中で描かれている一枚と威勢のいい馬がキャンバス中央でこちら側に向かって走ってくるもの。そして、太陽の光をキャンバスいっぱいに表していると言えるような神々しい作品。

 

彼が残したスクラッチブックやノートに残されている言葉もまたストレートに心に刺さった。

 

自然とは、目に見える物ばかりではない。

 ー 瞳の奥に映し出されるイメージ

ー魂の内なるイメージでもあるのだ

 

我々は誕生のときに、すでに死を体験している

これから我々を待ち受けているものは、

人生のなかで最も奇妙な体験、

すなわち死と呼ばれる、真の誕生である

ー一体、何に生まれるというのか?

 

絵画を説明することは不可能である。他に説明する術がないからこそその絵が描かれたのだ。心を打ち明ける必要に迫られてどうしても出来上がってくるような芸術でなければ私は信じない。文学も音楽も全ての芸術は人の生き血によって製作されなければならない。芸術とは生きた人間の血なのだ。

 

喪失の悲しみや苦しみ、永遠に続くとさえ思われる不安を経て、生きることを選び、表現することを職業として選んだ一人の芸術家の「叫び」を時空を超えて聞いた気がした。