誰かのせい

 

何かがあると、

 

何かがないと、

 

「誰かのせい」にしていることがある。

 

意識的にそう思っている場合は、その意識を認めやすいし、認めたならば変えればいい。

 

やっかいなのはその意識がない時。

 

自分は正しいことをしていて、誰かが間違っていたり、するべきことをしていなかったり、そんな思いがあればあるほど、「誰かのせい」は心に染み付き、棲み付き、当たり前になり、気づきにくくなってしまう。

 

仕事も人間関係も人生も「誰かのせい」にしていないだろうか。

 

時々自問したいものである。