夢なき者は理想なし
理想なき者は信念なし
信念なき者は計画なし
計画なき者は実行なし
実行なき者は成果なし
成果なき者は幸福なし
ゆえに幸福を求むる者は
夢なかるべからず
ゴールデンウィーク中も夢と理想と信念を必死に計画に落とし込んでいる。
休み明けに実行あるのみとできるように。
未来をデザインする。
そんな言葉が舞い降りてきた。
今この瞬間を生き切る。
それが大切なことは変わらない。
普段は目の前のことに全力集中、全力疾走していても纏まった時間がある時には過去や未来のことを考えたい。
過去を振り返るのも悪くはないけれど、わくわく感を創出するためには未来を語るのがいい。
先日のブログでそんなことを書いた。
ならば、未来を語るためには未来のデザインが出来ていなければならない。
まずは未来のデザインを描くことから始めよう。
大きな決定をしなければならない時がある。
自分一人だけではなく、家族だけでもなく、一緒に働いている全組織とその歴史を賭けた。
そんな身も凍るような判断をしなければならない時がある。
と言っても、自分の身に降りかかったことではなく映画の中の話である。
ワシントンポスト紙のオーナーであるキャサリン・グラハムが大きな決断を迫られる。
彼女の選んだ道は信念を貫くこと。
たとえその結果が全てを失い、多くの人を傷つける可能性を背負っても、新聞社として、ジャーナリストとして、そして、国家建国の自由の精神を信じて一つの決断をする。
いつか、いつの日か、そんな判断を迫られる時には自分の、組織の、人としての信念を貫きたいと思った。
痺れる作品に出合えたのも一つのメッセージだと信じて。
2021年のゴールデンウィークも「ステイホーム」が掲げられた。
コロナ禍は2年目に突入し、3度目の緊急事態宣言が出されていて、変異種と呼ばれるコロナウイルスが猛威を振るっている。
昨日の大阪では1172人が陽性判明、44人が亡くなり1日の死亡者としては過去最高となった。東京でも3ヶ月ぶりに1000名を超える感染者が出て止まるところを知らない。
マスクに消毒にソーシャルディスタンスは「ニューノーマル」と言われ、「新しい日常」が当たり前になり、それがあまりに普通になってしまったが故に緊急事態宣言が発出されても人流はそれほど変わらない。
去年のゴールデンウィーク初日2日目にはこんなことを書いていた。
https://norio373.hatenablog.com/entry/2020/04/29/223018
https://norio373.hatenablog.com/entry/2020/04/30/222056
「慣れ」は、良くも悪くもやってくる。
「ニューノーマル」(新しい普通)が感染を拡げる方向に動かないことを祈っている。
ワクチン接種も遅々としてなかなか進まない中、果たして来年のゴールデンウィークはどうなっていることやら・・・
「私、秘密があるんです」
から始まるハウス食品の「禁断のフルーチェ」のコマーシャルが面白い。
https://housefoods.jp/products/special/dessert/kindan.html
冒頭の通常説明の後に妻の台詞から始まる。
<妻>
私、秘密があるんです。
自分の分だけこっそり生クリームで作ってるんです。フルーチェ
あ〜 贅沢!
でも美味しすぎるんです。
生クリームのフルーチェ
はぁ〜 家族には秘密です。
<夫>
僕、見ちゃったんです。
妻が夜中に生クリームでフルーチェを作ってたんです。生クリーム?
あんな幸せそうな顔は僕にも見せたことないのに。
僕に内緒にするなんて。
ん〜
生クリームで作る禁断のフルーチェ。
そのコマーシャルの誘惑に負けて思わずスーパーマーケットにフルーチェと生クリームを買いに行った。
実際に作って、
食べてみると・・・
ん〜
思わず笑顔と感嘆の声が漏れてしまった・・・
まさに、禁断のフルーチェである。
「わくわく感を創出したいなら未来を語ることですよ」
かつて大先輩に言われたことを思い出した。
過去の栄光や実績は心の奥底に沈めておけばいい。
今の苦境や頑張りは誰もが知っている。
白いもやに覆われた未来は誰にもわからない。
それならば自ら未来を語り、自ら描く姿を引き寄せればいい。
アルバムを眺めて思い出に浸るのも悪くはないけれど、未来を語りたい。
わくわく感の創出のためにも
未来自体を創り出すためにも。
さあ、未来を語ろう。