「受け取る準備ができていなければ、受け取ることはできない。」
今日、ふとそんなことを考えた。
言葉にすると、当たり前のこと。
キャッチボールでも余所見をしていたら受け取れない。
そんな常識的なことが言葉になって頭に浮かんだきっかけは「今までの自分には準備ができていなかった」ことに気づいたから。
気づきや発見は「外部にあるもの」に気づいたり、見つけたりすることだけとは限らない。
「外部にあるもの」はただそこに存在している。
自分の中にそれに気づく準備ができた時に初めて受け取る(気づく)ことができるのだ。
まずは自分が何を受け取りたいのかを真剣に考えよう。
そして、その準備をしよう。
あとは「偶有性の海」に委ねればよい。