恵方巻きの起源

今日、2月3日は節分の日。



節分に豆まきをするのは昔からの行事だが、「恵方巻き」を食べるというのはいつから始まったか気になって調べてみるとこんなことがわかった。



ウィキペディア参照
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/恵方巻#section_2



恵方巻、恵方巻き(えほうまき)は、節分に食べると縁起が良いとされる「太巻き(巻き寿司)」や、その太巻きを食べる行為で大阪地方を中心として行われている習慣。恵方巻の名称は1998年(平成10年)にセブン-イレブンが全国発売にあたり、商品名に採用したことによる。 大阪地方の地元における名称として、単に「巻き寿司」や「丸かぶり寿司」などがある。別称として「恵方寿司」「招福巻」「幸運巻」「開運巻き寿司」「太巻き丸かぶり」などと表現されることもある。

起源・発祥は複数の諸説が存在しており、信憑性についても定かではない。

商業的催事として、これを利用した関係業界の販売促進活動・関連商品・商戦が20世紀後半から活性化しており(#沿革、参照)、「日本一長い恵方巻き」といった関連するイベントも行われている。以上



「やはり商業的に作られた」という感は否めない。



と言いつつ、我が家でも少しずつ豆まきと合わせて「風習」になりつつある。














ならば、正しい作法(?)を知らねばならぬということで、前述のウィキペディアをもう少し詳しく見てみると・・・



恵方巻は、太巻き(巻き寿司)を節分の夜にその年の恵方に向かって無言で、願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじり(丸かぶり)するのが習わしとされている。「目を閉じて」食べるともされるが、一方「笑いながら食べる」という人もおり、これは様々である。また、太巻きではなく手巻き寿司を食べる人もいる。



7種類の具を使用した太巻きを使うが、この数字は商売繁盛や無病息災を願って七福神に因んだもので福を巻き込む意味があるとされる。特定の7種の素材が決まっているわけではなく、かんぴょう、キュウリ(レタス・かいわれ)、シイタケ煮、伊達巻(だし巻・厚焼き卵)、ウナギ(アナゴ)、桜でんぶ(おぼろ)等が多いが、他に高野豆腐、しそ(大葉)、三つ葉(ほうれん草)、しょうが、菜の花、かまぼこ(カニ風味かまぼこ)等が使われることがある。2000年代後半以降ではイカ、エビ、まぐろ(ネギトロ・漬けマグロ)、イクラ、サーモン(焼き紅鮭)などを使い「海鮮恵方巻」と称して店頭で売られていることもある。



大阪地方の地元で多用されている「丸かぶり」という言葉から、元々は商売繁盛家内安全を願うものではなかった、との考察もある。



恵方巻の起源・発祥は諸説存在し、信憑性も定かではない。



大阪船場の旦那衆が節分の日に行っていた、遊女に巻きずしを「丸かぶり」させるお大尽遊び(花魁遊び)を元とする説。
江戸時代の終わり頃、大阪の商人たちの商売繁盛と厄払いの意味合いで、立春の前日の節分に「幸運巻寿司」の習慣が始まったとされたとする説。
江戸時代末期から明治時代初期において、大阪の商人(「船場の商人」とする資料も存在する)による商売繁盛の祈願事として始まったという説]。起因として「厄落とし・縁起担ぎ」「船場にある階段の中段で女性が太巻きを丸かじりして願い事をした」「船場の旦那衆の遊び」が挙げられている。
豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が偶々節分の前日に海苔巻きのような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説(ただし、板海苔の誕生は江戸時代であることから、この説の根拠の乏しさが指摘されている)。質素倹約の時勢である点からも、この説の根拠は乏しい。[独自研究?]
1800年代のある年の節分の日に、大阪近郊の申村(現在の此花区伝法付近と比定)に住む老若男女が集まり、巻寿司を食す時に、切り分ける手間を省くために一本丸かぶりをしたというのを発祥とする説。以上



今年の恵方は「南南東」とのこと。



「鬼は外!福は内!」で歳の数だけ大豆を食べた後、



家族みんなで思い思いに太巻きを頬張った。