モチベーションという甘え

モチベーションという言葉をあちらこちらで耳にする。



昨日のブログの最後にも使ったばかり。
人生の締切
http://d.hatena.ne.jp/norio373/20130313



モチベーションを日本語に訳すと「やる気」「動機(づけ)」。



しかし、



そもそも「モチベーションがない」とか「モチベーションが上がらない」というのは単なる言い訳や甘えに過ぎないのではないか。



「モチベーションがあったからできました。」「モチベーションがなかなか上がらなくて、できませんでした。」というのはあり得ない。



誰かのモチベーションをどうすれば上げられるかのような議論もしがちだけれど、よく考えてみればおかしな話。



モチベーションがあろうとなかろうとやるべきことはやらなければならないし、やりたいことはやればいいだけの話。



モチベーションがまるで野生の動物かペットのように自分ではコントロールし難いもの、誰かに世話してもらうもののような錯覚に多くの人が陥っているのではないか。



これらは全て「自己責任の溶解」が原因なのだという気がする。



あまりにも自分の人生や生き方、自分という個の存在を考えなさ過ぎるのが原因なのではないか。



自分で強く生きていく力が弱まっているということなのではないか。



一言で言えば、日本人が幼児化しているということに集約されるかもしれない。



自分の頭で考え、行動していく。その結果を享受するのは自分。それが成功であっても、失敗であっても。



幼い子供には義務も責任もない代わりに、自分で考え、動く自由も、達成した時の喜びもない。



「自己責任の溶解」「日本人の幼児化」こそが失われた20年の真の原因なのではないか。



活気のない社会の真の要因ではないか。