貧弱な日本語

夏目漱石の「三四郎」を二十数年ぶりに読み返している。


その前は芥川龍之介の「羅生門」や「蜘蛛の糸」を読んだ。


両方ともiPhone4のアプリの一つ、i文庫で。


翻って最近読むことの多いベストセラー本やウェブ上の言葉を考えると
なんという軽さなのだろうと感じた。


もっとストレートに言うと、なんと貧弱な日本語なのだろうと。


わかりやすさや素早く読めるという視点から書かれた言葉が大量に
出回ったおかげで噛み応えのある日本語が少なくなったのではないかと
一人急激に危機感をおぼえた。


そういう自分のブログや日本語もまったくもって同じ症状なのだけれど。


結局、やわらかいものばかり食べていると噛む力が弱くなるということや
車やエレベーターに乗ってばかりいると歩く機会が減って足腰が弱くなる
というのと同じ現象なのだろう。


いや、言葉は思考のツールであり、そのツールが簡単なものしか使えない
というのはイコール思考も簡単なレベルでしかできなくなっている可能性も
高くなるということではないか。これは体力が衰えるということよりも
現代社会においてはより深刻な問題に違いない。


貧弱な日本語ばかりを読んでいると思考も貧弱になる。


噛み応えのある日本語を苦労しながら読む習慣を持つことで、読み応えの
ある日本語が書けるようになる。


この場所を道場だと思って、真剣勝負を続けてみようではないか。