悪魔の言葉


「難しい」という言葉をよく耳にする。



会話の中で「難しい」が使われる時は、それが実現不可能と言わないまでもかなり困難な状況であることが多い。実際、その言葉が使われる時は「善処はするが実現はできない可能性が高い」という意味だったり、「実現はできませんが、努力はするのでお許しください」というのが本心だったりする。「実現不可能なので何もしませんよ。いいですね。」と相手をできないことの共犯者に巻き込むために使われることさえある。とどのつまり「難しい」とは「できない」ということの婉曲表現であり、それを正当化するための悪魔の言葉にもなりうるのだ。



とは言え、真の問題は婉曲表現にあるのではなく「難しい」という言葉を使うことで心にブレーキをかけ、思考を停止させること。問題解決のための「考えること」を放棄することであり、自ら可能性を閉ざしてしまうことが問題なのだ。



山積された様々な難問を目の前に「難しい」と官民問わず繰り返し、集団思考停止状態に陥っている我が国、日本。



人間最大の武器である「考える」という技を放棄して、巨大な問題の山に立ち向かえるはずがない。



目の前の問題から逃れるために発せられる「難しい」=「あきらめ宣言」を我が国から追放するために、明るい未来を切り開くために、もう一度「常に考える」「考え抜く」ことの重要性を認識し、この国中にはびこっている「難しい」を一掃したい。



そのために私ができることは、まず私の辞書から「難しい」=「悪魔の言葉」を追放することだ。