いつからかわからないけれど「才能」という言葉があまり好きではなくなっていた。
改めて考えてみると理由は単純。
自分には才能と呼ぶに相応しいものは何も持っていないから。コンプレックスが知らぬ間に言葉を心から締め出していたようだ。
と言っても、特に自分を卑下しているわけではない。社会で抜きん出た成果を出している人の方が少数派だし、だからこそ、才能は才能と呼ばれて然るべき。
一方で、多くの人が自分の才能に気づくことなく埋れさせたまま一生を終えているのではないか、とも感じる。或いは、自分の才能を過小評価して、磨き切れずに腐らせてしまうことも少なくないのでは、と。
埋れた才能に必ず気づける方法はないだろうか。気づいた才能が磨くに相応しいものだと確実にわかる方法はないだろうか。
ヒントは案外身の周りに転がっているような気がする。
人には誰にも得手不得手がある。
好きなこと、苦手なことがある。
寝ても覚めても考え続けていることはないだろうか?
何時間やり続けても飽きないことはないだろうか?
自分のこれまでの人生を振り返って最も時間を費やしたことはなんだろうか?
自分にとってはさほど苦もなくできることで、身の回りを見渡すとそう簡単ではないと気づいたことはないだろうか?
才能の鉱脈は、絶えず自分に問いかけ続けることで、きっと見つかる。
あとは、ただただ掘り続けるだけ。
一心不乱に。
何かに辿り着くまで。
何も出てこないのではないか、と不安になっても。
何があっても、
何もなくても、
ただただ、
掘り続けるのだ。
このブログも同じ。
ひたすら続けていくことだけを考えて、
行こう!